最初は軽いノリで始めたゲーデル命題の研究でしたけどw
京大数学だか、哲学だか、の『意味論』を思い出しまして、なんか、段々とマジになってきましたで、そうですねん。意味論が独立して存在する条件を考えてみたら、それは形式主義と対立し得る形がデキておらなければ、それこそ意味がおマヘンがな、そうでっシャロ。すると、G⋀¬Gは形式的には確かに矛盾ですがな「あ、そだ、コイツは使える」と膝を叩きましたがな、そうですのや。
ゲーデル命題とて
ワシの考案したクォーク命題の特別な形ですがな!
矛盾結合のはずが意味が矛盾しマヘンのや・・。
アッと驚く美しい応用でしたがな、そうですねんて。せやさかい、ワシが不完全性定理をまとめるとしたら、そら、ゲーデル流の意訳とは異なり、次のようになりますのや。いわく「数学には形式論的には矛盾しているが意味論的には矛盾ではない数学の無矛盾性を意味する文章が存在する」というような一文になります。
すなわち「数学は無矛盾である」
メ デ タ シ メ デ タ シ w
京大数学だか、哲学だか、の『意味論』を思い出しまして、なんか、段々とマジになってきましたで、そうですねん。意味論が独立して存在する条件を考えてみたら、それは形式主義と対立し得る形がデキておらなければ、それこそ意味がおマヘンがな、そうでっシャロ。すると、G⋀¬Gは形式的には確かに矛盾ですがな「あ、そだ、コイツは使える」と膝を叩きましたがな、そうですのや。
ゲーデル命題とて
ワシの考案したクォーク命題の特別な形ですがな!
矛盾結合のはずが意味が矛盾しマヘンのや・・。
アッと驚く美しい応用でしたがな、そうですねんて。せやさかい、ワシが不完全性定理をまとめるとしたら、そら、ゲーデル流の意訳とは異なり、次のようになりますのや。いわく「数学には形式論的には矛盾しているが意味論的には矛盾ではない数学の無矛盾性を意味する文章が存在する」というような一文になります。
すなわち「数学は無矛盾である」
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