日記主体に書いてゆきます宜しく

『独去独来』『全ての人は秋の木枯らしの吹く寂しい荒野を一人で旅する旅人である』(お釈迦様)

姉が浄土宗で僧侶に死んだら極楽に行くにはどうすればよいかと聞きました 

2022年01月09日 | 仏教・親鸞聖人

  姉が浄土宗で僧侶に『極楽に行くにはどうすればよいか』と聞きました『毎日十回の念仏をせよ』でした 

 姉は浄土宗の僧侶に『死んだら極楽に行くにはどうすればよいか』と聞きました 僧侶は『阿弥陀仏の本願に【乃至十念】とあり一日当たり10回の南無阿弥陀仏を称える事で極楽に行ける』と教えられたので主人が無くなってから『毎日10回念仏を称えているので極楽に行ける』と主張します、何か可笑しいと思いません、先生を定年まで勤めた人がこの程度の宗教心しかないのが古今東西の人々の常です、【乃至十念】の意味は阿弥陀仏の本願の【欲生我国】=極楽浄土【乃至十念】=感謝の多くの念仏(十念の十は満数で在り仏教では無限を表します)の間違った解釈であり、阿弥陀仏様も抱腹顛倒されている事でしょう、私訳:阿弥陀仏の本願(お約束)は【全ての人を生きている今絶対の幸福に救い取り死んだら極楽に行く身にして感謝の念仏を称える身にして見せる】と言うお約束です、その為には信心が一番であり、信心を阿弥陀仏から戴くには聞法一つであると教えられて居ます、『難しい事を言わないでもっと簡単に書け』と友人が言っている様ですが、一つの事を極めるにはそれなりに努力が必要です、ましてや人間に生まれてきた目的を知り【絶対の幸】になる為にはそれなりの努力が必要です、地球上に生まれられた唯一人の仏であるお釈迦様が南無阿弥陀仏を説きつくせなかったと仰って亡くなっています。不可説・不可称・不可思議の尊い教えを身に着けるには弥陀の19願20願と仮の本願を通り18願の真実に他力により救われる事は難しい事であり1300年前の中国の唐の時代最も中国で仏教が栄えた時代にも真の仏教を伝えた人は善導大師唯一人であったと親鸞聖人が言って居られます。     合掌

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 同窓会と菊花展岐阜公園にて | トップ | 「南無阿弥陀仏」とは何でし... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿