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更に時差の...皆既月食の天王星食|後日に大後悔 x x x

2022年11月19日 | その他(鈴木彩子,アマビエ様風味?,雑記など)
前記事の続き。
写真は、 エントリークラスレンズを 手持ち + 手振れ補正で写したもの。
こっちの分は、 トリミングしただけで 縮小なしのサイズ。



天王星食は まだ遠い。
普通の皆既月食に オマケ付き、といった感か。



感覚的には 天王星が 月に近付いて行っているように見えがちかも...
実際は、 月の方が近付いて行っている。



前記事からの続き。
月食前半から色々あったのだが・・・

また 別件の 「ピントが合わない」と。
ボディーは、 フルサイズの デジタル一眼レフ。
レンズは、 こちらの エントリークラスと比べれば、 実販価格では1桁違う高級タイプで 定番的モデルの 望遠ズーム。
AFでは 全部ピンボケになって、 MFでも だめなのだという。

一応、 AFの合焦位置の調節が出来ていて これまで使えていたレンズが 合わなくなった...んですよね?と 訊いてみると...
「そんなこと していない」
・・・ぇぇええ、 それが原因の可能性があるのでゎ・・・?

一眼レフのAFが「合焦した」と判断する位置は、 レンズとカメラの組み合わせ毎に バラつきがあるのが 現実。
これが合っていないと、 ピンボケになる条件では 何度やっても 同じような加減のピンボケばかりが続くことになる。

このズレる加減は、 レンズも ボディーも、 同じ型式でも 個体ごとに それぞれ違う。
実際、 同じ型のボディーを 新品購入と中古購入の2台を持っているが、 同じレンズでも それぞれの補正値は違う。
それも、 今回使っているズームでは、 広角~望遠で変化する傾向から違うように見える。
この調節は、 エントリークラスでも、高級モデルでも、もっと高価な大砲レンズでも、 実質 必須。
結果的に初期値位置のこともあるが、 それは、 そのボディーとレンズの組み合わせでの 単なる偶然。

この調節の設定値を見つける 具体的な作業手順は 色々あり得て、 それぞれ自分なりに、といったところ。
たとえば、 まだ 前ピン 後ピンの傾向もわからない状態からだと、
まずは、 調節できる範囲全域を 何段階かの等間隔に刻んだ補正値で写したコマを見比べて、 およその位置を推定...
次は、 その推定位置を中心にして 前後に刻む幅を半分位に狭めて写した数コマを見比べて、 また およその位置を推定...
その同じ作業の 刻む幅を 順次狭めて繰り返せば、 そのうち...
とか。
これは、 MFで ピント位置があっても 故意に大きく通りすぎてから、 往復する幅を狭めながら詰めていくイメージ。
でも、 実際には AFが 毎回正確に同じ位置には来なかったコマが混ざるので、 理屈ほど簡単ではないはず x x x
これを、 使うボディーと レンズやテレコンの類の組み合わせ全てでして 登録する。

この調節をせずに、 鮮明に写らないことを
「性能が悪いレンズだから」
「性能が悪いボディーだから」
「撮像センサーが小さい機種だから」
と思って 文句を言ったり 諦めているなら、 劇的に改善できる可能性もある項目。
同時に、 あれこれ買い替えたり 高級機に買い替えたからといって、 好結果になるとは限らない部分。

それでも、 ズームの全域でジャスピンにまでは、 できるとは限らない。
あるいは、 撮影距離によって違ってくることもありそう。
だから、 同じボディーとレンズでも、 望ましい設定は 意向次第で色々あり得て 一概には決まらない。
極端には、 鳥撮り主体なら、 望遠端に最適化して、 広角側が外れるのは諦めてまでも 望遠域の精度を なるべく高くする、とか。
このボディーとレンズでは、 ズーム全域の どこでも なるべくハズレを少なくする方針で設定してあった。
今回は、 そもそも写す予定ではなくて、 自分用の写真を写している意識自体が なかったので、 普段の設定のまま x x x
これを 望遠端の無限遠に最適化すれば、 もう一歩 鮮鋭に写っていた...のかもしれない。

で、 冒頭の「ピントが合わない」事案は・・・
AFではピンボケ、 MFも 現場での実績が ピントを合わせられる期待は低そう、となると、 突貫工事で AFを調節するしかない、か。
皆既食も後半かという時に、 その設定自体を知らないところへの 趣旨と操作の説明のところから、 調節を探ってみる事態に x x x



もう ナビする相手がいないので、 写すなら 自分用写真の写し方ができるように 状況が変わっているのだが・・・
気付いていない、というか、 なんとなく そのまま、で、 最後まで 手持ち + 手振れ補正のまま写していた x x x
いつものことながら、 アタマの切り替え、 アタマの回転が 遅い x x x

三脚を使って 手振れ補正 OFF で コマ数を多く写せば、 精度低めの手振れ補正での甘さがない分が 少し鮮明なコマがあったかも?
まぁ、 超高感度では、 低感度での レンズ本来の画質感には ならないけれど。

天王星食は、 正確な状況までは把握できていないのだが・・・
2~3コマずつの連写を 数秒間だけ 断続的に繰り返した。
・・・というか、 数回だけ繰り返していた記憶はある。
写したタイミングは、 直前コマから漠然と推測しつつも、 具体的な根拠はない、 ふんわりした、 半ば無意識のような感覚。

そろそろ 閉園時間に急かされるような気になる頃で、 充電式カイロも切れて 寒くなってくる。
映画や ドラマでなら こうなるよね的な、 いかにも よくできた、 色々なタイミングが ちょうど揃った感じ。
帰ろうか。
長居したものも、 欠けていく月を見ながら帰る予定が、 満月に戻っていく、に変わった程度。
とっても魅力的な人に接して、 こっそり役に立てていた時間を過ごせていたつもりで、 道中は 心温かく 楽しげな気分。
普段には まぁ全く感じられていない気分。

写したコマの確認をしたのは、 翌日。



時間進行は 左 → 右 へ。

偶然なのか、何なのか、 天王星が隠れていく途中のタイミングに掛かっていたように見える。
そもそもは 写すつもりもなかった自分が 写していた、という展開だった?

重ね重ねながら、 望遠機材としては超軽装の エントリークラスレンズを 手持ち + 手振れ補正で写せるとは 思っていなかった。

この結果になったのを知ってから 振り返ってみると、 寂しさもあって・・・
自分が これを写しても、 「ぁ、写ってたんだ」程度のこと。
でも・・・
もし、 前記事の“バッテリー切れの人”だったら・・・

自身が 自身のカメラで写した写真は、 他とは違う 特別なものだろう。
そこには、 他者の視点で他と比べての評価の優劣は、 そう重要ではない。
そして、 写したくて写すことに、 自身の知識ではできない部分に アシストを受けても、 立派に“自分が写した写真”だろう。
写る結果を良くさせるだけなら、 カメラの知識の差があるので、 何でも こちらが指示して写させる方が 簡単。
どこにでもいる 自称 優秀な指導者さんが、 定型を丸写しさせた 見せ掛けだけの好結果を並べさせるしかできないように・・・
でも、 そんな、 主観も主体性も思考もなく 体裁良い結果を拾わされるだけのロボットみたいな時間が 楽しいだろうか。
そして、 自分がシャッターを切ったというだけで、 「自分が写した」といえる“自分の写真”だろうか。
せっかく写すなら より良く写せた方が 対外的には見栄えが良くできても、 自身に大切なのは 写真の結果だけではないはず。
そもそも、 最初には訊かれたというだけで、 その後のことまでは頼まれてもいないのを 勝手に考えているだけの状況。
だから、 なるべく、 写したい時に写したところに、 特に必要なことや 訊かれたことには ナビするようにしたつもり。
上に書いた“ピントが合わない”さんの メッキ知識でのイマイチなご指導に靡いるのはわかっていても、 そのままにしていた。
たいていには 豪華な機材を使っている方が 知識も優れているように見えるのが 定番。
差といっても こちらの知識でならイマイチと判る軽度なら、 あちらなりに楽しくいる時間に介入するのは 筋違いだろう。
それで、 写せるのが、 他者からは不出来に見える 浅い部分月食だけに終わってしまうかもしれない。
それでも、 そこには、 その場のなりゆきも含めて 自身なりに写した“自分の写真”があるのだから、 それでいいと思っていた。
今でも、 ここまでは正しかったと信じているけれど・・・

考えていたのは、 写すことへの 技術的な部分と、 ナビするタイミングや 伝え方ばかり。
いずれバッテリー切れになるのは予測できていたのに、 その後のことは 全く考えていなかった。

あの時、 バッテリー切れになってから思い付いて、 このカメラで写せば、とは 少し言った... けれど・・・

あちらは 予備のSDカードは 持ってきていなかった。
あちらの使いかけのカードを 違う機種で使うのは、 万一トラブルが出たら...の心配で 薦められなかった。

でも、 こっちには予備のカードもあったし、 その時は思い付かなかったけれど 近所のコンビニでも買えたのかも。
そのカードを持ち帰れば、 その写真が 当日にも使えるコース。
それに、 当日は無理コースなら、 方法は 複数あり得ることは わかっていたのに・・・

写したからといって、 その時が 楽しいとか嬉しいとか、 SNSに載せる...とかで完結するだけで 充分。
それが 直接的や具体的な何かに繋がっていく必要なんて ないもの。
思い出として ずっと残り続ける必要なんて ないもの。
もし “いい所”は写せなくても、 それはそれで良かったこと。
というより、 こう写ることもあること自体を知らなくて、 天王星が隣接していくのが写せれば、 もう満点でいられただろう。
そこには、 この実際で 自分が写したことよりも、 100倍とか... たぶん もっともっととかの価値がある時間があった...はず。
それは、 自分にも、 この実際とは比べられない 楽しくて幸せな時間...だったはず。
あの時、 そこに進める方法に 手が掛かっていたのに・・・、 逃していた。

もっと早くから考えていれば 対応できていたかも・・・
いつものことながら、 アタマの切り替え、 アタマの回転が 遅い x x x
役に立てていたつもりでいたなんて、 何もわかっていなかっただけの 単なる勘違いさんだった x x x
その結果が、 このブログの1記事だけ、 もし 天王星食の途中に掛かっていなかったら、 この1記事自体も 無かった。
得られる最良でも、 逃したものとは 全く 釣り合っていない。
勿体ないことをしてしまっていたと 痛感する。

この実際は、 あの時、 その先に有り得た いくつかの未来の中で “一番つまらない所”に来てしまった、 そんな気分 x x x


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