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ヤマタノオロチの正体もか?(@_@)

2021-02-20 23:43:32 | 古代史
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よく知られているヤマタノオロチの話は、日本書紀では例によって伝承をいくつか紹介していますが、高天原を追放されたスサノヲが最初に降り立った場所が異なったり、多少内容に違いが見られます。古事記にも勿論この話はありますが、それらのだいたい共通する部分は、頭が八つ、尾が八つの大きな蛇の怪物が、毎年村に降りてきては娘を喰うという話です。スサノヲがそれを剣で退治すると、尻尾から霊剣が出てきたので姉アマテラスに献上します。この剣は、後に瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に手渡されて葦原中国へと降り立ち、天皇の三種の神器(八咫鏡、八尺瓊勾玉)のひとつの草薙剣(くさなぎのつるぎ)になります。日本書紀では本文の注で天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が後に草薙剣となったという説も紹介されています。

この神話は出雲国風土記にないことから実際にあった史実ではないという説がありますが、日本神話研究の第一人者松前健氏(1922 - 2002年)は風土記は地名の由来を記すものなので、日本書紀の内容を意識的に省いたものであり、やはり出雲地方の風土伝承だったとされています。そして出雲国風土記の斐伊川沿いの飯石郡熊谷郷の条でクシイナダヒメと類似の名前のクシイナダトヨマヌラヒメという女神が登場するとあります。「熊谷地方には、古く稲田の女神と水の神の大蛇の神婚伝承が語られ、祭りが祝われていたのを、スサノヲの崇拝が入りこんで、これを包摂し、その意味を変え、民間に流布する人身御供譚をその由来譚として採用したのであろう。」と結論付けておられます(松前健「日本神話の謎がよくわかる本」大和書房 2007, p.101)。

あれだけ高天原で暴れて追放された乱暴者の神スサノヲが、一転して英雄のキャラクターとして登場するので、余りにも不自然です。刮目天は、スサノヲ(「宋史 王年代紀」第十八代王素戔嗚尊)は二世紀初頭に奴国宮廷楽師の師升らのクーデターで殺されたと推理していますから、ヤマタノオロチの神話は日本書紀による創作だと考えています。古事記は通説では日本書紀の前に完成したことになっています。しかし、実は古事記序文にそうあるだけで、続日本紀などの文献にも古事記は一切登場しませんので、日本書紀の後に作られたものだと考えています。序文は後世に書かれたと分かります。本文の内容は基本的には日本書紀の話を踏襲していますが、大国主の神話などの日本書紀にない話が多々あり、原古事記が存在して、そこから引用したものだと考えています。

そして松前先生のご意見の中の神婚譚は、水神つまり龍神が大国主久々遅彦のことで、稲田の女神はその名前から大国主の妃の台与(トヨ)であることが分かります。スサノヲはオロチを退治した後に、命を助けた奇稲田姫(クシイナダヒメ)と結婚し、須賀宮を建て、その際に日本で最初の歌を詠んでいます。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」

この歌から、すでに述べたとおり大国主と台与が卑弥呼を改葬した宇佐市安心院町の一柱騰宮(いっちゅうとううぐう)を宮として祀るために後世に創建された妻垣神社の社名を連想できます。おそらく、日本書紀で作られたスサノヲの歌から社名が作られたのでしょう(^_-)-☆(2021.3.8 赤字修正)



また、スサノヲがヤマタノオロチを殺して欠けた十拳剣(とつかのつるぎ)は、大蛇之麁正(をろちのあらまさ)、もしくは天羽々斬之剣/天蠅斫剣(あめのはばきりのつるぎ)として天理市の石上神宮(石上坐布都御魂神社いそのかみにますふつのみたまじんじゃ)に祭られています。日本書紀では、一書に吉備の神部とあります。岡山県赤磐市石上布都魂神社のことで、そこにあったこの剣が大和に遷されたという説があります。これらは物部氏の神社で、布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)がご祭神です。

前回述べたとおり国譲り神話が史実に基づく話であり、この話は物部氏らのヤマト勢が大国主久々遅彦を殺したことを示唆しています。実際に手をかけたのは、スサノヲの弟ニギハヤヒ大王を祖とする物部氏と同族の尾張王だと推理しています。布都御魂大神は例のあのフツヌシ神のことで、タケミカズチ神が尾張王であり、大国主サルタヒコを殺した景行天皇のことでしょう。草薙の剣が熱田神宮に祀られたのも、大国主の所有していた霊剣を尾張王が手に入れたからだったのではないかと考えられます。日本武尊(ヤマトタケル)の話も大国主を圧倒するほどの英雄に仕立て上げ、真の建国の主役大国主久々遅彦を隠したいための日本書紀の創作なのです(^◇^)

そうなんですよ。

ヤマタノオロチの正体も、龍蛇神、つまり奴(ナーガ神)国最後の大王スサノヲ直系の倭国王だった大国主久々遅彦なのですよ(^_-)-☆


【関連記事】
国譲り神話の史実は?(^_-)-☆
卑弥呼はどのように隠された?(;´Д`)


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (light77rira)
2021-02-21 10:52:04
古代の物語は謎だらけ複雑怪奇ですね。面白いです。
(今のアメリカも謎だらけで複雑怪奇)

お話が変わりますが、先日ラジオアーカイブを聴いてて
オペラ蝶々夫人にサルタヒコ様の事があるそうで
(この脚本家は日本古代に詳しい方のようです)
ここで色々拝読していたので、ラジオのお話が味わい深かったです。

安心院 玖珠 は、友人たちの故郷です。
知ってるだけでも会話が豊かになって来ます。
(噂話などせずに済みます)

ありがとうございました。
お疲れ様です。
Re:こんにちは (刮目天 一(はじめ))
2021-02-21 12:59:01
有難うございます(*^-^*)
とてもいいコメントを頂きやる気が出ます(*^-^*)
応援していただいたおかげで、ドンドン謎解きの糸が次から次と目の前にぶら下がって来るのが見えて、楽しいことこの上ないです。先ほども散歩しながら次の記事の構想を練ってきました。いい天気ですので、歩きすぎて少しくたびれましたが(´ω`*)
一番ホットな話題だと思いますので、ぜひ、拡散をお願いします。でもひとつだけ注意ですが、記紀神話を歴史と思っている方十分注意しましょう!相手にされなくなるので、上手にお願いしますね(^_-)-☆
それではまた、どうぞよろしくお願いします(^◇^)

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