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「オッペンハイマー」は本当に真実を伝えたのか?〜映画は”絶望の淵”を切り取る鏡であるべきだ

2024年03月12日 02時45分27秒 | 映画&ドラマ

 アメリカのアカデミー賞が発表され、原爆開発を指揮した学者を題材にした「オッペンハイマー」が作品賞や監督賞など7部門を受賞した。
 この作品を手がけたクリストファー・ノーラン監督は”絶望の形で終わってはいるが、現実の世界では核の脅威に対する答えが絶望であってはいけない”と述べ、核軍縮や核不拡散に取り組む必要性を訴えた。
 一方で、核兵器廃絶(ICAN)の川崎氏は”日本側の視点が描かれていない”という意見に対して、”原爆投下後の広島や長崎の惨状が描かれてない事について違和感を持つかもしれないが、それも作品の一つの在り方であり・・・映画をきっかけに世界の人たちに映画で描かれなかった広島や長崎の事を伝えていく必要がある”と答えた。
 更に、今回のアカデミー賞では戦争と平和の問題を扱った作品の受賞が目立った事を踏まえて、”国家が間違った形で権力を使う事に対し、1人1人が声を挙げる事が必要だ”とも指摘した(NHKWEBより)。


オッペンハイマーの真実

 この作品は”原爆の父”と讃えられた栄光と共に、原爆がもたらした惨状を知った後の苦悩や戦後の水爆開発に反対した事で要職から追われる姿などが描かれている。
 だが、作品では広島・長崎の原爆による被害の詳細や核兵器廃絶についての直接的なメッセージは描かれてはいない。それでも、被爆者で医師でもある朝長万左男さんは、第二次世界大戦後も更なる核開発へと突き進んだアメリカ政府と対比する様に”苦悩するオッペンハイマーの姿が描かれた事が核兵器の廃絶が進まない今は重要だ。ただ単に戦争を核兵器が終わらせるという 従来の主張を肯定的にとらえ、オッペンハイマーは英雄だった事を強調する映画では終わっていない。核廃絶がうまく進まない世界に対する警鐘と感じた”と語る。
 一方で、同じ被爆者の本田魂さんは”何だかピンとこない。長崎や広島の原爆の被害がほぼ描かれておらず、メッセージがぼやけていた。アメリカと日本では視点が違うのだと感じた”と漏らす。

 また、アメリカの劇場でこの作品を観た、ある被爆3世の人は”確かに被爆者の事は取り上げていないが、天才科学者が机上の空論を形にするまでの高揚感と、とんでもない殺人兵器を作ってしまったと自覚した時の苦悩、実際に使われた後の喪失感と、とてもよくできた映画だと思った。一方で、被害ばかりを武器にしてては(慰安婦問題と同じで)次世代が手を取り合って前に進める様な理解が必要だと思う”との前向きで建設的な意見もある。
 以上、ネット上の様々なコメントを大まかに纏めましたが、確かに、冷静な見方をすればだが、所詮映画は娯楽であり、伝記と言えどフィクションであり、事故報告書ではない。つまり、被爆の真相とオッペンハイマーは切り離して考えるべきではある。

 そんな私も「悪魔の兵器#1」「#4」でオッペンハイマーの事は書いたが、原爆開発は彼が先導を切って行った事だし、原爆投下の際にも”直接的軍事的使用以外の選択肢はない”と研究所内の反対派を黙らせた。しかし、日本への原爆投下は米大統領トルーマンや英首相チャーチルを含め、色んな要人や軍部や要素が絡んでいたのも事実である。
 一方で、戦後の核開発反対として有名なのは、世界の著名な科学者ら11人が著名した”ラッセル・アインシュタイン宣言(1955)”だが、オッペンハイマーは水爆開発反対で公職追放になるも、公に核廃絶を宣言してはいない。
 事実、彼は1960年に日本を訪れた際に”原爆開発の成功に関わりを持った事は後悔していない”と述べ、広島・長崎を訪れる事もなかった。これは、自らの爆弾によって生じた実際の被害に”直面する勇気がなかった”との声もある。
 一方で彼も人間である。原爆投下直後、広島・長崎の被爆の実相を知るにつれ、罪の意識に苛まれ、原爆を”我々が育った世界の全ての基準から見ても最も恐ろしい悪の兵器”と語る様になる。そして同年10月、研究所所長を辞任し、トルーマン大統領に面会した際には”手を血に染めてしまった”と嘆いた。が、トルーマンは落ち込んだ彼を”腰抜け”とコキ下した。


最後に〜映画は絶望を映し出す鏡である

 (まだ見てはいないが)私個人の意見としては、この作品をきっかけに”米国では原爆の投下が戦争犯罪だったかどうかをめぐる議論が再燃している”という点では高く評価したい。
 が、その一方で「MINAMATA」(2021)の様な”絶望の淵を切り取る”という意味で、インパクトに欠ける気がしないでもない。勿論、「オッペンハイマー」の物語だけで”絶望の淵”が描かれれば、これに越した事はない。

 事実、「MINAMATA」は”水俣の真実”ではなくユージン・スミスの”作られた物語”であり、専門家の評価は55%程と(作品の出来に比べ)酷く低いものだった。
 確かに、ドキュメンタリーとても、所詮は興行が目的の”作られた”娯楽である。つまり、見る側も大人にならないと映画は作品として成り立たない。
 しかし一方で、「入浴する智子と母」の写真をユージン夫妻が撮影するシーンは、この作品の最大のクライマックスであり、「MINAMATA」の絶望の淵を描いた、作品の本質を見事なまでに抜き出していた。

 そういう意味でも、ほんの少しでもいいから広島・長崎の悲劇と衝撃を切り取り、オッペンハイマーの背中に映し出して欲しかった気もする。勿論、原爆の問題は広島・長崎の惨劇だけで語り尽くせるものでもないし、同様に、オッペンハイマーの物語だけでは語り尽くせるものでもない。
 ただ、オッペンハイマーが広島・長崎を訪れなかったからと言って、彼が作った原爆が被爆地の惨劇と無関係である筈もない。
 つまり、オッペンハイマーの苦悩だけを描いても、映画としては大成功を齎すが、原爆投下の絶望の淵を描く鏡としてみれば、物足りなくも感じるのだろうか。

 映画は大衆に希望を与える鏡でもあり、人類に反省を促す鏡でもある。
 オッペンハイマーに被爆者に対面する勇気がなかったのと同様に、仮にだがノーラン監督に被爆を映し出す勇気がなかったとしたら、作品の評価が高いだけに、それこそ残念な事である。
 少なくとも監督には、”絶望の形”ではなく”絶望の淵”を描いてほしかった気がする。
 という事で、日本で上映される事が決まった「オッペンハイマー」だが、こうした私の微妙な不満を払拭されるのを願うばかりである。



10 コメント

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らしいですね (tomas)
2024-03-12 09:53:11
そう来ると持ってました。
”絶望の形”ではなく”絶望の淵”を描いてほしかった>>>お気持ち強く察します。

思うのですが
アメリカはどうしても原爆投下の責任の一部を科学者に押し付けたいんじゃないかと勘ぐる所があります。
トルーマン大統領の責任を軽くする為に、一部の過激派の軍部の責任になすりつける。
つまり大統領の選択は正しくもなかったけど間違いでもなかった。当時の複雑な状況がそうさせたんだって>>> 
tomasさん (象が転んだ)
2024-03-12 13:57:27
気持ちお察しいただいて有り難うです。
そーうなんですよ。
私も何か勘ぐる所はあります。
このタイミングでオッペンハイマーですから・・・
でも映画の出来がそれをカモフラージュしてるみたいで、それも3時間の巨編です。
最初からオスカーと興行目当ての作品な筈ですが、米メディアの大げさな宣伝の仕方も目に付きます。
結局、前宣伝の仕方で映画の評価や評判は大きく変わりますから、アメリカも売り込みに必死なんでしょうね。

「タイタニック」で大きく裏切られた私は観るつもりはないんですが、不思議と駄作の匂いがプンプンとするんですよね。
確かに力作ではあります (paulkuroneko)
2024-03-12 20:55:18
ロシア=ウクライナ戦争やイスラエル=ハマス戦争の真っ最中に、マンハッタン計画の中心人物となった「オッペンハイマー」をここぞとばかりに送り込むアメリカのエンタメ業界の奇策には頭が下がります。
彼の業績が現在に至る世界の核武装に繋がったことを考えると、このドラマこそアカデミー賞に相応しいとする声が圧倒的ですね。

確かに3時間を掛けた力作だけど、傑作かと言えば疑問が残るとの声も多い。
それに原爆開発とオッペンハイマーの思いに微妙なズレがあることも事実で、それは歴史が証明してますよね。
個人的に言えば、この映画にはセリフは多いもののオッペンハイマーの本音は描ききれてはいないと思います。
オッペンハイマーが原爆投下後に嘆いた”悪の兵器”は自らの幻想が生み出したもので、”手を地に染めてしまった”とは言い得て妙でした。

即ち、映画ではなくオッペンハイマーこそが絶望を映し出す鏡だったのかもしれません。 
Unknown (60yearstarts)
2024-03-13 02:14:11
軍需産業は研究者の敵でありますが、
権力による締め付けは日本でも同じで
軍関係者の守秘義務法制度の改悪は
自衛隊の装備品までに及んだので、
日本でも全く軍需産業関連については一言も言えずタブーになっています!

社内に社員が入れない区域などあります会社では尚更です!

仮にたった今
昔の研究内容を漏らしても
守秘義務違反で逮捕されるでしょう!

軍需産業関連は問題外

お話にならない!
自由に発言出来るだけ良い環境でしょう!
paulさん (象が転んだ)
2024-03-13 14:22:42
原爆投下の黒幕で言えば
バネバー・ブッシュとレスリー・グローブスを忘れてはいけませんが、特にブッシュは超悪玉でしたよね。
トルーマンもチャーチルに煽られ、グローブスに脅された側面もありますが、ブッシュの存在がとても大きかったと思います。
そういう意味では、今回アメリカがオッペンハイマーを題材にしたのは、ある意味無難な選択だったかもです。

日本での公開は3月ですが、意外?にも”観て良かった”という声が多いでしょうね。
そういう私ですが、正直観る気はありませんが、映画としての出来がどうなのかは気にはなります。
ドキュメントとは言っても所詮はフィクションですから、本当の事を描いたら、ハリウッドと言えども国家権力で潰されるでしょうから・・・
ま、無難な映画と言えば、それまででしょうね。
unknownさん (象が転んだ)
2024-03-14 07:14:30
私もそう思う所はあります。
ただ、こうした歴史上のタブーや国家機密に近いものを(自由とは言え)娯楽にすり替えるアメリカのエゴも鼻につきますが
バネバーブッシュ (UNICORN)
2024-03-14 08:34:01
黒幕の1人であるレスリーグローブスはマットデイモンが演じてます。
どんな演出になってるのか少しは興味があります。
バネバーブッシュは控えの俳優みたいで、顔見せだけでしょう。
キャスト群を見る限り、純粋なオッペンハイマー物語になりそうな気がする。
所詮はヒューマンドラマだから、当時の軍事機密とか国家機密には余り触れる事はないでしょうね。

ただオッペンハイマーのセックスシーンがあるとかで、結局はR15指定の大人の娯楽に過ぎない。
スパイクリーは”傑作だが広島長崎の惨劇を映し出して欲しかったね、彼らは蒸発したんだから”と皮肉っている。
確かにドキュメントというのであれば、映画の最後で数分でもいいから原爆投下により起きた事を描くべきだった。
それだけでも作品に与える印象はずっと重くなるし、存在感を増すのだが。
UNICORNさん (象が転んだ)
2024-03-14 13:32:24
アメリカでは、広島長崎の悲惨な映像を公開する事や政府首脳が見る事は一種のタブーになってます。つまり、こうした行動が謝罪行為とみなされ、国家への反逆だと批判されるからでしょうか。
昨年の広島G7で来日したバイデンも資料館の一部しか見なかった。同じ理由により、この作品も被爆惨状の描写を控えたと思われます。

それにノーラン監督は、”原爆開発→核投下→赤狩り→黒幕の追及”という時間軸を変更し、”赤狩り”を最初に持ってきました。
こうする事で、”ソ連スパイ疑惑”を観客に掻き立て”だから水爆に反対したんだ”と納得させます。
結果的には史実通り、オッペンハイマーは原爆投下の衝撃を受け、水爆に反対するんですが、こういう所にも、核兵器性悪説を観客に”漠然と納得させる”トリックが垣間見れますね。

作品の評価が専門家も一般者も95%というのは出来過ぎ感がありますが、この映画が本当に反核メッセージなのか?日本人は真剣に議論する余地があります。
多分日本では賛否両論浴びるとは思いますが、そうする事で完結する映画だと思います。
Unknown (tokotokoto)
2024-03-20 12:10:34
いくらきれい事言っても
所詮は大量破壊兵器を作った研究者の物語。
普通の人間ならばアンナン作ったら一生後悔する。
いや作ってる最中に何らかの疑問や矛盾や罪悪感を覚えるはず
トルーマンにしても1発目の原爆投下は百歩譲って言い訳できるとしても
2発目はどう見ても明らかな戦争犯罪でしょうに
結局やってきた事はプーチンと同じくそれ以上に酷い。
感動!感動!っていうけど冷静に考えると腹立ってきますね。
tokoさん (象が転んだ)
2024-03-20 17:20:00
言われる通り
2発目はどんな理由があろうと許せることじゃないですよね。
いくら映画でドラマチックに感動的に描いても、史実は変わらないし、罪がなくなる訳でもない。
つまり、アメリカも原爆投下による戦争犯罪の行為は認識してる筈で、そうした上に矛盾を含んだ日米同盟が存在する。
プーチン流に”日本には主権がない”と言えばそれまでですが、主権があってもその本質が無差別大量破壊であれば、主権があっても意味はないですよね。

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