僕は、六本木のカフェバーで開かれた、あるパーティーに出席した。ヴィンテージ物の白ワインを飲みながら、つまみのキャビアを乗せたカナッペを食べ、陽気にはしゃぐ仲間たちのたわいない世間話に、退屈そうに相槌を打っていた。会費は確か十万円だった。

 僕は、起業して、面白いくらいに儲かっていた時期だった。そのパーティー会場では、あらゆるジャンルの起業家たちが情報交換をしていた。

「白川さん、好調ですね。秘訣はなんですか?」

 この手の厚かましい質問には、答える義務はないと思っていたので、

「はあ。好調と言えるかどうか。資本金もうちは少ないですし。今が頭打ちでしょうね。」

 とかなんとか逃げおおせていた。

「ところで、女の子でいい子がいるんですよ。次、その子の店、どうですか?」

 この足立という背の低い男は、ウイスキーグラスを持つ手の小指を立てて、気味の悪いくらいいびつな歯並びを見せて、ニカっと笑った。僕はいい加減、このパーティーの雰囲気に飽きていたところだったし、接客されるのもいいな、と思い、誘いに乗った。足立と二人、パーティー会場を抜け出して、タクシーを拾い、ワンメーターで着くその店に行った。

 雑居ビルの二階にあるその店は、割合こじんまりとした会員制のクラブで、重たい扉を開けると、着物を着た上品なママが、奥からやって来た。

「あら、足立さま、しばらくでしたわ。お連れさまもいらっしゃい。さあさ、奥へどうぞいらして。」

 足立は、

「真凜ちゃん、いる?」

 ママはにっこり頷いた。

「いつもありがとうございます。今、支度させます。」

 足立は、コートを脱いで、ママに渡すと、店の中央の廊下を真っ直ぐに歩いていく。僕も彼に倣ってコートを預け、足立の後を追った。

「真凜ちゃん、御指名よ。」

 ママのよく通る声が響いた。真凜という女は、爪にミッキーマウスのネイルアートを施した、少し幼い子だった。僕は、この子は足立の趣味だな、と思った。そして、僕はどちらかと言うと、さっきのママを気に入った。

真凜という女は、驚いたことに、早速、

「真凜、昨日、カレー作ったの。食べに来てくれたら嬉しいな。」

 と、足立を誘っていた。二人の間には、肉体関係がありそうだった。真凛は、水割りを作りながら、

「フルーツの盛り合わせ、頼んでいいですか?」

 僕が頷くと、真凛はボーイに耳打ちした。ほどなくフルーツが来た。真凛は、綺麗にローズピンクの口紅を塗った唇で、アメリカンチェリーを咥えて、枝をクイッと引っ張って取り、右のほっぺたで噛んだ。足立は、フォークでパイナップルを突き刺して、頬張った。僕は、黙って水割りを飲んでいた。足立と真凛は、仲良く談笑している。

 そこへママがやって来た。

「ママの美里です。ここ、いいかしら?」

 と、僕の右隣に座った。女性を見ると、まず最初に爪に目が行くのは、僕の昔からの癖だ。ママの爪が、適度に指先で控えめに二ミリくらい三日月形に丸く尖っていて、マニキュアの色が、薄い上品なパステルピンクだったのが、気に入った。香水も、フローラルなバラの香りがほのかに鼻腔をくすぐる。

 足立が、

「ママ、この人は白川さんだよ。実業家だ。」

と言うのを聞いて、

「まあ、どうぞ、ご贔屓に。今日はイベリコハムと、いいグレープフルーツが入ってるの。お近づきのお印にサービスさせてください。」

 そう言うと、ママはボーイを呼んだ。僕は、すごく寛いで、美味しくお酒を飲んだ。そして、聞き上手のママにつられて、ついつい、独身であること、起業して、会社が軌道に乗ったこと、横浜のみなとみらいのタワーマンションに住んでいることなどを話していた。 

 そんな訳で、それから半年経った頃、美里が僕のマンションに住むようになる。六本木の店は辞めさせて、家のことを任せるようになった。付き合っている半年の間に、僕たちは、大麻を吸うようになった。大麻の葉を、タバコと混ぜて、薄い紙で丸めて、タバコのように火を点けて吸う。大麻をお互いに吸った後のセックスが楽しいので、大麻を使うのはセックスをする時だけだった。二人の間では、大して罪悪感はなかった。ー今夜はちょっと悪いことしよう。ーっていうような、あくまでも軽いノリで、大麻を吸って、お互いの体で遊ぶ。大人の遊び、と割り切っていた。普段の日常生活には影響が出ないように、慎重に気を配っていたため、周りの人間は、誰も気づかなかった。僕は会社の人間にも、親兄弟にも、美里がマンションに居ることを内緒にしていた。結婚が視野に入っているわけではなかった。少なくとも僕は。

 美里は料理がうまかった。アラビア料理やトルコ料理、ロシア料理など、珍しいものも作ってくれた。そうかと思えば、鯛を一匹買って来て、上手に捌いて、刺身にしたり、寿司も握り、あら炊きも上手に作った。僕は果たして、美里に惚れていたのだろうか。自分でもよくわからなかった。惚れていたのかもしれない。しかし、あまりにも見返りを求めない、献身的なその愛に甘えて、僕は美里の誕生日を祝うことも、二人の記念日を祝うこともしなかった。恋人らしいことは、何もしてやらなかった。ただ、彼女の肉体をむさぼり、彼女に家事を任せて、自分の好き勝手をしていた。

 美里は、小さい頃に父と母が離婚していた。青森県の雪深い小さな町で、母一人子一人で育った。母は、昼間は新聞配達をし、夜は小さなスナックを経営して、美里を育ててくれたという。美里は高校卒業と同時に東京に出て、その足で銀座のクラブに職を求めた。しかし、田舎から出たてで、訛りはあるし、垢抜けない子供の美里を雇う店はなく、新宿歌舞伎町のキャバクラなら、雇ってくれるよ、と言われて、歌舞伎町のキャバ嬢になったという。それから先は、天性の美貌が幸いして、上客に恵まれて、どんどん上昇気流を掴み、六本木の会員制クラブのママにまでのぼり詰めた。しかし、深酒が災いして、その頃から肝臓を悪くしていたようだ。

 僕たちの同棲生活が2年ほど続いたある寒い雨の日に、美里は僕のマンションから出て行った。僕に愛想を尽かしたのだった。乾燥大麻の葉は、全て美里が持ち去った。他の女と大麻を使ってセックスを楽しむのは、もう僕にはしてほしくないという、美里の思いだったのか。それとも、ただ単に大麻が欲しかったのか。

 僕は、探しても見つからない大麻を求め、密売人に電話をかけた。密売人は、すぐに乾燥大麻二十グラムを用意してくれた。美里の体が恋しいわけではなかった。大麻が恋しかった。

 大麻の葉を紙で巻いて、舌先で紙の端を舐め、くっつける。そして、吸い口を指で捻って咥え、反対側に火をつけて、深く吸い込む。僕はもう、タバコの葉と大麻を混ぜることはしなかった。純粋に大麻だけで吸いたかった。ふと、スマホを見つめていると、偶然にスマホが鳴り出した。僕はどきっとした。なんと、足立だった。

「はい。」

「白川さん、お久しぶりです。お元気ですか。」

「ああ、元気ですよ。」

「今、近くに来てるんですよ。桜木町。もし良かったら、飯でもどうですか。」

 平日に大麻を吸ったことはなかったが、その日は土曜日だった。僕はすっかり気を抜いていた。足立が指定する焼き鳥屋で、会うことにした。

「やあ、白川さん。急にお呼び立てしてすみません。」

「いえいえ、僕も人恋しかったから。」

 僕は大麻のせいで、調子が高かった。なんと、足立に紹介された六本木のクラブのママだった美里と最近まで同棲していた話をしてしまった。足立は目を丸くして驚いていた。

そして、足立は、僕がハイテンションなのを巧みに見抜いていたようだった。

「何かいいことありましたか?ご機嫌ですね。」

 と、やや冷ややかに、僕と美里との仲を嫉妬しながら、怪訝そうに言うのだった。

「いやいや。何も。クスリやってるから。」

「ホントですか。」

「一週間に一回ですよ。」

と、酒も回って、訳がわからなくなって、こんなことを足立に口走った。足立は、

「僕、ちょっと用事を思い出しました。お会計は僕します。お先に失礼します。」

 彼はきっと僕にこれ以上関わりたくなかったのだろう。足早にその店から出て行った。僕は一人、砂肝を串からしごいて食べ、冷酒を煽った。

 足立から連絡が来ることはその後一切なかった。

 僕はそれから数ヶ月の間、大麻を常習した。密売人とも頻繁に連絡を取り、週に一回どころか、平日の夜中に毎晩一人で吸っていた。そして、仕事は休まずしていたので、社員は僕の様子がおかしいと感づき出した。六本木の裏路地で、密売人と取引した後、ポケットに乾燥大麻を入れて、無防備に車に乗ろうとした時に、警察に挙動不審で職務質問された。僕は、しまった、と思った。しかし、遅かった。警察は慣れた手つきで、僕のポケットを探り、乾燥大麻二十五グラムが入ったパケットを見つけた。すぐに試薬で化学反応をみて、現行犯で逮捕された。

 バチが当たった。今に当たると思っていた。だから、あんまり驚かなかった。逮捕されて、執行猶予がついた有罪判決で、僕はベンチャー企業のCEOから、無職の前科持ちに転がり落ちた。クスリはキッパリやめた。

 美里はどうしているだろう。僕を恨んでいるだろう。元気にしているだろうか。でも、こんな僕には、もう、美里に合わせる顔がないことはわかっていた。ただ、ここまで落ちぶれて初めて、自分が美里にして来た仕打ちを思い、熱い涙が頬を伝った。僕は、急いで涙を拭いとると、美里の連絡先を消去した。

 キャッシュはいくらか口座にあったので、しばらくの食い扶持はなんとかなった。数年は働かなくても良かった。何か手に職を付けようと思った。前科がある身なので、もう、ビジネスの世界で生きてゆくことは難しかった。僕の逮捕は、マスコミには取り上げられなかったものの、業界では相当な噂になっていたのだった。

 

 その年の初夏、二泊三日で北アルプスに一人でキャンプに行こうと思った。車にテントや食料を積んで、山道をズンズンと進む。途中でキャンプ場に行き着いたら、車を降りて、テントを張り、川でウグイでも釣って、大自然の中で無力な自分と対峙したい、と思った。自分を大自然に放り込んで、自分を試してみたかった。

 運転しながら、自分がどんなにいい加減で最低な人間か、なんて罪深いのかと思った。ここから生まれ変わりたいと思った。大麻に手を染めたこと。一人の女を無茶苦茶に扱って傷つけて捨てたこと。不思議と自分が立ち上げた会社に対する未練はなかった。自分が犯罪を犯しても、会社と社員が残ってくれたことがありがたい。僕が会社を去ることで、問題が会社に及ぶのを防げたことは幸いだった。

 だんだん山道は細くなってくる。キャンプ場はもうすぐだ。駐車場に車を停めて、テントと食料、寝袋などの入ったリュックを背負ってキャンプ場まで歩く。

 キャンプ場に着くと、テントを張った。そして、背負って来た釣竿を、川面に放り投げて、引きが来るのを我慢強く待った。しかし、あたりは来なかった。

「ボウズか。」

 まあ、こんなもんだろう。今の自分に寄ってくる魚はいないだろう。僕は空腹を満たすために、乾パンを食べ、小瓶に入ったワインを一本飲んだ。6Pチーズがあったので、ふたかけらを剥いて少しずつ味わいながらかじって食べた。あたりが暗くなるまで、寝袋にくるまって本を読んだ。そして、満天の星を見ながら、漆黒の闇に包まれて、川の流れる音だけがする大きな森の中のテントで、眠りについた。

 鳥の鳴き声で目が覚めた。あたりはもう薄明るく、腕時計を見ると、5時を過ぎたところだった。空腹で腹が鳴った。早めの朝食をとることにした。

 湯を沸かし、持ってきたカップ麺をすする。なんてうまいんだろう。そして、この空気。森には体に悪いものなんて、なに一つない。カップ麺を最後の一滴まで平らげて、立ち上がって深呼吸した。肺の奥深く、隅々まで、綺麗な酸素で満たされた。美味しいコーヒーを沸かして、飲みながら、また、本を読む。

 読書に飽きて、ちょっとその辺りを歩いてみようと思った。森の脇の小道を歩いて行く。小川の水を水筒に詰めて、一人、黙々と歩く。小一時間歩くと、寂れた墓地に着いた。背丈ほどまで草が一面に茂って、その中に古ぼけた墓が二十ほどある。中には墓石が台座から倒れているものも二、三ある。

 大きな樫の木が立っており、その幹の上の方にスズメバチの巣があった。

 荒れた墓地の中に、一つだけ、草が綺麗に刈ってあり、枯れた花束と、ワンカップの日本酒が供えてある墓がある。ワンカップの中には、スズメバチの死骸が沈んでいた。墓標を読むと、昭和三十二年に亡くなった人の墓標が一番新しかった。

 どうも、近くに昔、人里があったようだ。何かの理由で、人が住まなくなってしまったのだろう。ダムの底に沈んだのか。

 その、日本酒が供えてある墓地には、最近、墓参者が来たのだろう。そして、その周りの草の生い茂った墓たちから、

「いいなあ、羨ましい。」

 という声が、聞こえてきたような気がした。墓参りに来たその墓を、周りの墓が嫉妬しているのだ。そんなふうに思えた。僕は、ほぼ反射的に、

(わかった!皆さん、待っててくれ。) 

 僕は小走りで、今来た道を戻り、三十分ぐらいで駐車場まで来た。車に戻り、早速、山道を下って一番近い町まで車を走らせた。

 周りの景色を楽しむ気持ちはあまりなかった。あの、草生い茂る古びた人気のない墓地に、埋葬されて忘れ去られた、見ず知らずの故人の人生を思った。どの人も、僕みたいな罪深い人生を送ったわけではないだろうに、墓の下で、墓参に来てはくれない子孫を待っているのだ。無縁仏ではない。墓標には名前が彫ってあった。もっとも多くは苔むしたり、風雨に晒されて、判読が難しいものも多かったが。

 僕は、自分がもし死んだら、どこかへ散骨して貰えばいいという主義だった。あまり、結婚願望もなく、家族を持ちたいという強い気持ちを持ったこともなかった。もっとも、今の僕は家族を持つ資格はない。

 僕は許されるだろうか。自分で自分を許せるだろうか。一生後悔する、そして一生染み付いた真っ黒なあざのような『犯罪』、そして、美里という女に自分がしてきたひどい仕打ち。美里は一切、僕に文句を言わなかった。どうして、作ってくれた料理を感謝しなかったのだろう。彼女にプレゼントの一つもしなかったのだろう。一緒に旅行に行ってやらなかったのだろう。そして、親兄弟に紹介して、結婚を考えれば良かったのだ。あそこまで尽くしてくれた女に、自分はどうしてあんなに冷たくしたのだろう。

 信号のない山道を下りながら、僕は自分自身に問いかけ続けた。決して答えのない、そして、答えは『僕の罪』という一言へ、堂々巡りを繰り返す。

「あーーーー!」

 僕はハンドルを握りながら、大きな声で叫んだ。ハンドルを谷に向かって真左に切り、アクセルを全開にすれば、僕は死ねるだろう。

「でも、だめだ。お墓の中の人たちと約束した。」

 僕は思い出した。そうだった。恥ずかしくて死にたかったが、死ねない。無様な自分は、もがき苦しんでこれから先、自分でいつか自分を許せるまで、贖罪をしてゆくしかない。

 視界に街が見え始めた。市街地をしばらく行くと、ホームセンターがあった。僕は、駐車場に車を停めて、中に入り、七千円を払って、草刈り鎌を一本買った。それから、線香を五箱、ライター、菊の花束、軍手を買った。

 それから、酒屋を探した。寂れた商店街をしばらく通り、開いている酒屋を見つけた。

そこで、地酒のワンカップを二ダース買った。そして、全て車に乗せて、元来た道をとんぼ返りした。

 山道を行くと、目の前に鹿が急に飛び出した。僕は急ブレーキを踏んだ。間に合った。鹿は視界から消えた。僕は胸を撫で下ろした。まだ子鹿だった。

 車を停める場所はキャンプ場の駐車場だ。そこから一時間はある。荷物は重かったが、草刈り鎌、線香、ライター、菊の花、日本酒のワンカップ二十四個を提げて、墓地まで歩き出した。もう、昼過ぎだった。

 墓地に着いた。僕は喉の渇きも忘れて、すぐに草刈りに取り掛かった。草は墓石を隠すほどに伸び、二十はある墓全ての周りの雑草を刈るのに、三時間ほどかかった。藪蚊がひっきりなしに、腕を刺した。汗まみれになりながら、最後の草を刈った。

 水筒から小川で汲んだ水を飲んだ。全部飲み干してしまった。そして、倒れている墓石を軍手をした手で起こし、一つ一つの墓に菊を一輪ずつと、ワンカップの酒、それから線香を一束、火をつけて供え、手を合わせた。

(寂しかったでしょう。僕はあんまりいい人間じゃないんです。でも、通り掛かったから、お参りします。安らかにお眠りください。)

 と、唱えた。

 ワンカップの酒が二つ余った。僕は地べたに座って、そのうちの一つを開けると、飲み始めた。

(僕ももらってますよ。皆さんもどうぞ。)

そう思いながら、飲んだ。喉の渇きもあり、ひと働きした後で、地酒は驚くほど美味かった。

 そして、僕はテントまで歩いた。腹が減った。もう陽は傾いていた。釣りをする時間はもう残されていない。汗をかきかき、僕はテントに着いた。

 カップ麺を作り、6Pチーズをまたふたかけと、残り一つのカップ酒を飲んで、疲れ切って、早々に眠りについた。不思議と充実した気分だった。

 そして、明くる朝、車で横浜へ帰った。

 僕は、今、栃木県の介護施設で働いている。贅沢な暮らしはできないが、食べていける。みなとみらいのマンションは売却し、黒磯に移住した。職場で出会った妻との間に、男の子が二人いる。僕は家族を持つことができた。

 妻には僕の過去を付き合っている間に全て話した。妻は、僕の過去を受け止めてくれた。

 そして、贖罪、という言葉を発した僕に、

「あなたの贖罪は、幸せになることよ。自分をもう、十分責めたから、神様は許してくれてる。自分で自分を許さなきゃ。そうしたら、幸せになれるよ。」

 と言ってくれた。

 確かに、専門学校に社会人入学して、介護福祉士の資格を取り、マンションを売って、黒磯に中古の一軒家を買い、介護の仕事にせいを出していた。前向きになることを覚えていたが、大麻歴と美里のことで、自分を許せていたか、と問われれば、決して許せてはいなかった。

 付き合っていた頃の妻は、僕のそばで、僕が悩むのをずっと見ていた。そして、

「美里さんに連絡をとって。今からでも、遅くないよ。謝りたいでしょ?」

 と、言った。僕は、

「連絡先、消しちゃったんだ。肝臓が悪かったから、病気になってるかもしれない。」

「なら、誰かに訊けばわからない?」

 僕は途方に暮れた。謝りたい。

「住所を訊くよ、真凛ちゃんって子が知ってるかも。」

 僕は、六本木のクラブに真凛がいるか、訊いた。真凛は銀座のバーのチーママになっていた。僕は銀座に電話をかけて、真凛に美里の住所を訊いた。すると、真凛は、

 「美里ママは、去年の十二月に亡くなったの。肝臓癌で。私、お見舞いに行った時、白川さんとのことをママから聞いた。全然恨んでなんかなかったよ。私が悪いこと教えた、って自分を責めてた。大麻、教えたの、ママだったからって。」

 僕は、礼を言って、電話を切った。真凛が言うには、美里は僕の逮捕を小耳に挟んだらしい。

 両親には、美里のことは、話せていない。大麻で逮捕された時にも、僕は美里のことは黙秘した。美里が幸薄い女だったことが、僕の心を今でも締め付ける。自分が愛した男が逮捕されたことを知り、そして、肝臓癌で一人で死んでいったのだ。美里の墓にまでは、行ってはいけないと思った。ただ、自分の胸の内で、何度も何度も詫び続けた。

 そして、僕は妻と結婚した。結婚しても、同じ介護施設で一緒に働き、子供もすぐに授かった。二人目が出来たとき、僕は自分の贖罪がついに終わったと思った。幸せになれた。妻が、付き合っていた頃、僕に言っていた通りだった。

 今日も夜勤明けの疲れた頭で、軽自動車を運転しながら、ベンチャーのCEOだった頃よりずっと、今の自分が幸せだと思う。地に足のついた暮らし。そして、何よりも自分を一番わかってくれる最高の伴侶。二人の健康で可愛い子供たち。そして、中古の一軒家の広い庭には、子供たちのための砂場とブランコがある暮らし。

 

「あなたの贖罪は幸せになることよ。」

 天から聞こえて来るような言葉を発した妻を、僕が幸せにする。妻は僕にとっては神にも等しい。僕は幸せだ。

              (終わり)