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「正欲」と名づけ沈黙する

2021年06月18日 | 読書
 放送局のモニター評価では観点の一つに「新しい知識や情報が得られたか」がある。メディアの見方でなくとも、個人の読書の観点も意識無意識に関わらず当てはまるだろう。その意味で、この直木賞作家の書いた新作はだった。えっ、そう…なんとなく聞いていたこととはいえ、鮮明に浮かんだ事実があった。


『正欲』(朝井リョウ 新潮社)



 著者の作家生活10周年記念と宣伝された長編小説。出版社PR誌である『波』に多くの声が寄せられていた。中に高橋源一郎の「みんなのヒミツ、暴かれた。朝井さん、やっちまったね。どうなっても知らないから」という一文があり、惹かれた。「読む前の自分にはもどれない」という評価も、あながち誇張ではない。


 私たちは簡単に「多様性」と口にするが、その範囲はあくまで想定内でしかない。自分が思ってもみなかった事象についてはどんな接し方ができるのか。私であれば、それに近い何かの範疇に入れようとするか、そうでなければ「その他」として封印し、関わりを避けるのではないか。そうやって生きてこなかったか。


 小説の語り手(登場人物)の一人でいえば、自分は寺井啓喜そのものに近い。持ち合わせた知識や思考に根本的な疑いを持たない。検事という職業上の特質とも言えるが、社会通念へのすり合わせが第一義となる。他者との比較が目を曇らせ人を丸ごと捉えられない。「多様性」を概念の理解だけに落とし込めている。


 登場してくる「事件」の当事者たちを、極端な「性癖」とみなす思考では、結局何も変わらないだろう。認めるにしても突き放すにしてもそれらを「正欲」と名づけ、しばし沈黙してみよう。内容として深く関わるわけではないが、あの『うっせえわ』という曲が時々頭の中で鳴るような、ガツンと来る小説であった。


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