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参冊参校参稽(二)

2023年01月23日 | 読書
 今年は「参冊参校参稽」と名づけて、三冊ずつ軽読書メモをアップしてみようと思う。「参校」も「参稽」もあまり見かけない語だが、つまりは「参考」ということである。まあ、これもどこまで続くものか。気まぐれはいつものことだから。




『こころの相続』(五木寛之  SB新書)

 物質の相続ではなく精神の相続について語っている。考え方や所作、振舞など、自分も確かに誰かから受け継いでいる部分はあるはずだ。早くに父親を亡くしたが母や祖母から躾けられ(そこまではいかないか)いまだに守っていることや、徐々に薄れていることを数えあげれば…いかにも中途半端な世代、出自であることは否めない。しかし、齢からすれば明らかに「相続する側」。いったい何を意識して伝えるべきか。ほんの少しでも価値あるものを磨くしかない。



『不機嫌のトリセツ』(黒川伊保子  河出新書)

 著者の『なぜ怪獣の名はガギグゲゴなのか』という新書は印象的だった。その後読んでいないが、売れっ子の一人でもあり、ちょっと覗く気分で…。前半は、やや飛ばし気味でもいい内容だったが、後半にいくにつれ実に頭に入ってくる。特に「ミラーニューロン」が弱くなっている最近の傾向への警鐘が響いてきた。名言、惹句ラッシュ状態になっている終末部分は面白い。曰く「AIには『愛』はない」「『安全な人生』と『人生の安心』は別物だ」。勢いのある一冊だ。



『死者の贈り物』(長田 弘  ハルキ文庫)

 こんなテーマの詩集は初めて読む。知人が少しずつこの世を去っていく年齢になり、その実感に基づいて20編の詩が書かれている。あとがきによると「親しかったものの記憶にささげる詩」ということだ。実のところあまりぴんとこないのは、「悼む」心が足りないからではないかと自省する。解説の川上弘美は「死を畏れず、死を羨まず、つまりは生を奢らず」と書く。きっと自分はまだ「生を過信」しているのだろう。読む、想う、考える深さが足りない。


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