かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 267

2024-05-10 16:55:34 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究31まとめ(15年9月)
   【はずかしさのまんなか】『寒気氾濫』(1997年)107頁~     
    参加者:S・I、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放


257 少女の胸真っ平らなり蘆の芽のむすうに尖るすぐろ野に立ち

    (レポート)
〈解釈〉「すぐろ」とは春、野の草木を焼いた後の黒くなっているさまだが、尖った蘆の芽がびっしりと無数に広がる野原に、まだ胸のふくらみもない痩せた少女が立っている。
〈感想〉連作「はずかしさのまんなか」は秋からはじまりこの一首で季節が春に移り変わっている。春ではあるが、痩せた少女と、すぐろ野の対比が痛ましい。「すぐろ野に立つ」様は、ひりひりと内向の牙を剥いているような、少女の精神状態の危険な場面とも感じる。 (真帆)

   (当日意見)
★蘆は「人間は考える蘆」の蘆ですよね。無数に蘆が生えているすぐろ野に立っている
 少女も蘆の芽のように若いんだと思います。「ひりひりと内向の牙を剥いている」と
 までは思わないけど内向的な少女が大人になっていく過程でこれからいろんなこと
 があると。(慧子)
★蘆の芽は焼いた後に出てきて若い緑色で美しいのだと思います。その芽と並んで胸の
 真っ平らな少女が立っている情景は痛々しさを感じさせます。258番歌(芹青きな
 がれに指を差し入れてわがとこおとめ登校をせず)を読むとこの少女はお嬢さんか
 もしれませんね。松男さん、俳句もやっていらっしゃるので、季語がよく出てきま
 すね。(鹿取)
★解釈では痩せた少女って強調されているけど、成長していないから胸が真っ平らなの
 で、痩せてるは敢えて入れなくてもよいと思います。(S・I)
★真帆さんが書いているようにすぐろ野が少女の精神状態の危うさを表していると思
 います。(鈴木)
★すぐろ野は、でも新しい命を生み出す為に草を焼くんですよね。(鹿取)
★芯まで焼かれないように、この時期を少女は乗り越える必要があって、難しい時期な
 んです。その危うさが歌によく出ていると思います。(鈴木)



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