実際ニーズは大きいらしいけれど、こんなビジネスはやりたくない。難関大学の理系大学院から大手民間企業という経歴の超高級人材でも、文章が上手ではない(正直読みにくい)人は少なくない。彼らの文章を修正する作業は、小生の得意とするところなのであるが、最初から上手に書いてくれさえすれば、こんな生産性のない作業は不要なのだから、これをビジネスにしたらと言われても、小生はもっと生産性の高い仕事をやりたいと思う。日本語で研究や技術業務に従事する中国人など、外国人からも時折指導を求められる。さて、いくらいただくのが妥当だろうか。小生は、中央官庁で1年だけ文書作成・修正業務の日々を送ったが、その時にずいぶん鍛えられたのは事実だ。学術論文の査読においても、こういう点にこだわりがあるので、一定の質に至らない論文であれば、かかわるだけ時間がもったいないとさえ感じる(骨折り損)。
<参考>一ノ瀬俊明:(2001)プレゼンテーション 私のやり方. 地理,46-11,23-28
こんな小生ではあるが、1982年の共通テスト(共通一次第4期)の国語は、現代国語で大量失点して、全国平均より少し高いだけの132点(普段の模試では160点ちょい)。あの春日俊彰にもボロ負け。京大なら死亡フラグ。しかし東大の二次試験では、国語が絶好調だったらしく無事合格。国語の択一なんてナンセンスだとさえ思った。国家公務員試験の国語現代文問題(択一)はよくできていた気がする(トラウマ克服)。