葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

パソコン大好き爺さんの日誌。mail:akebonobashi@jcom.home.ne.jp

「どう思いますか野党に言いたい 」「 共産党したたかさを身につけよ」朝日新聞投書欄

2021年10月15日 | 日本共産党

10月13日の朝日新聞読者投書欄に「どう思いますか 野党に言いたい」が掲載されました。その中で「共産党したたかさを身につけよ」を文字起こしをしました。

共産党したたかさを身につけよ

 無職仲田征夫(栃木県 76)
 非正規雇用が広がり、経済格差が大きくなる中、共産党は社会的弱者の信頼できる擁護者と私は思う。「今も暴力革命の方針」と非難する向きもあるが、私は党の綱領、党員や議員の活動から暴力性を感じたことは一度もない。
 それではなぜ支持が広がらないのか。まず第一に、共産党という党名が、旧ソ連や中国の共産党の強権政治のイメージと重なるからだと思う。だから党名を変える時機ではないか。
 第二に、政党交付金を受け取らないような「理論原理主義」が日々の生活に追われる庶民の気持ちに響いていないように感じる。機関紙収入や寄付で賄う党の台所は厳しいようなので、法律で定められている政党交付金を受け取ってほしい。税金と企業献金の二重取りにくみしない精神は立派だが、国政への影響力行使をめざすなら交付金で十分な広報活動をして理解者を増やすべきではないか。自民党と連立を組むようなしたたかさがないのが、もどかしい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本共産党志位委員長『日本共産党の「共産」という言葉の語源は、ラテン語の「コムニス」、共同という意味です。そこからコミュニズムという言葉が生まれました。コミュニティーセンターは「直訳」すれば「共産センター」。身近な言葉なのです。人と人が角つきあわせるのでなく、支えあう「共同社会」が目指す社会なのです。』と、説明をしています。

管理人は、1962年に日本民主同盟に加盟し、1964年に新宿地区委員会牛込居住細胞(支部)に入党しましたが、Wikipedia「日本共産党」を読むと99年の歴史には様々な出来事がありました。1965年には8年間勤務した中央区銀座二丁目の商事会社を辞めて、赤旗新宿分局員になりましたが、妹は「私はお嫁に行けなくなるから」と、反対されました。1968年には商事会社から要望があったので復社しましたが、結婚しても新宿区市谷に住んでいましたので新宿区議会議員候補の要請があり、復社2年で会社を辞めました。社長からは嫌みとも激励とも取れるような「二度と戻ってくるな」と、キツく言われました。

NHK「ヤン坊ニン坊トン坊」の脚本を書いた劇作家故飯沢匡さんは、管理人の新宿区議会議員推薦者でしたが、市谷左内町のご自宅へしんぶん赤旗の集金に伺った時は、応接室で時々お話をさせて戴きました。選挙の話になると「日共は・・・・」と言われ「共産党」とは呼んでくれませんでした。確かに「日本」が頭についていますが、「ソ連共産党」、「キューバ共産党」、「ベトナム共産党」、「フランス共産党」が、「フ共」や「キュー共」とは、略称にされませんね。中国共産党だけは「中共」と、「一党独裁制」を象徴して呼ばれています。

幾ら「中国共産党」とは、違うのだと言っても「投書」にあるように党名を変えるべきという方々が沢山居られます。新宿区内の町会長や商店会長から「共産党」でなければ支持するがと随分言われました。同時に、「企業・団体献金を受け取らない共産党」だから、大手建設会社と妥協しないだろうと、見知らぬ戸建て住宅の方々から信頼され、日照・建築問題では相談が沢山来ました。

来年、7月15日は共産党創立100年になりますので、思い切って党名を変更したらと考えていますが、元中央委員会議長不破哲三氏が健在中は無理でしょうね。

(了)

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 廻沢稲荷神社の井戸が「世田... | トップ | 「祖師ヶ谷大蔵 絵の教室」... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日本共産党」カテゴリの最新記事