細菌戦から核戦略へ!!

2024-03-22 12:08:32 | Weblog

南京大虐殺

 
 

南京大虐殺(マギーフィルム)

パネー号撃

 

      
 
 
 

第2次上海事変
 
 
重慶爆撃
 
 
原爆投下や東京大空襲ばかり取り上げて、
日本のテレビや教科書が重慶爆撃を取り上げないのは問題だと思います。
(視聴者のコメント)
 

苦干(重慶無差別爆撃)

 

 


 
 
 
731部隊
 

731部隊展

 

 
 
 
原爆
 

ニュース257号

 

 

 
 
日航123便の怪(1985年8月12日)

 

 

【森永卓郎×倉田真由美】 日本航空123便墜落事故で分かった新事実

 
 

●東京帝国大学伝染病研究所
 
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
 

●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』

・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??

・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??

・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??

・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?

・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?

・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。

・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??

・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。

・1938年6月1日の伝染病研究所で石井四郎の厚意によって上映された映画には、731部隊の生体解剖でも映っていたのでであろうか?精神的緊張裡とは、何のことだろうか?

 

実験医学雑報20巻 第7号(1936年)

本所職制改正

この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。

 

*特別研究室とは何だ??

 

雑報9号(22巻、1938年)

 

小島三郎の哈爾浜行きは、731部隊か?

 

 

学友会へ寄付

金23円32銭也   桑島謙夫君

金9円78銭也    木口三郎君

 

人事異動報告 昭和13年9月5日現在

発令月日     辞令            官職    氏名

8.1    兼任伝染病研究所技手       助手    栃内寛

〃     研究生入学許可(第2研究部)          佐竹隼人

8.9    満洲国及び中華民国へ出張を命ず  教授    宮川米次

8.10    伝染病研究所長宮川米次満洲国

      及び中華民国出張不在中代理を命ず 教授    三田村篤志郎  

〃     依願免本官(北京同仁会病院)   技手    中島高志

8.15    満洲国へ主張を命ず(哈爾浜へ)  教授    小島三郎

8.16    研究生退学の件許可

      (北京同仁会医院)              野上隆

8.25    任厚生技師

      叙高等官6等                 山口正義

8.31    研究生満期退学                矢田興久

〃     〃                      八田善保

〃     伝染病研究所業務を嘱託す(医局)       川崎治

〃     右同(同)                  八田善保

〃     研究生退学を命ず               川崎治

 
※BCG人体接種とは、中国人に行ったものか?

   

 
 
 

●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 2001年ピュリッツァー賞受賞

 ※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!  

 

第2部    仁愛の政治

1922(大正11)年―1930(昭和5)年

 




 

 

 

 

 

 

第6章 政治的君主の誕生

 経済界の不況は殆ど極点に達してゐる。失業者は日々増加しつゝある。一家離散し、餓莩(がひょう)路に載(み)つるの現状は果して人心をして倦まざらしむことを得るか。叡旨(えいし)を奉公するは為政者の任である。晏然(あんぜん)として袖手傍観するが如きは、叡旨に対揚する所以ではない。吾人は新年の初頭に当り、濫(みだ)りに不詳の言辞を弄して、以て自ら快とする者ではない。而も事実を隠蔽して太平を粉飾するは不忠の至りで、皇室を尊び、祖国を愛する為の、断じて為すべき所でないことを確信するが故に、敢て国家主義の神髄を闡明(せんめい)すると共に、これを発揮し、拡充するの根本は人心をして倦まざらしむるに在ることを呼号する次第である。


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