鐵屋+Cafe ~島々ノ文化ノ風ガフク~ 現代アート 鉄彫刻家

鉄彫刻家の創作な日々と鐵屋+Cafeの島風な日々。『紅い鉄』『土へ還る鉄』を暮らしへと♪島文化薫るカフェとアートな鉄。

鉄檻三畳一間をつくった理由ときっかけ。

2021年04月26日 18時13分40秒 | 創作・活動 







鉄檻三畳一間をつくった理由🖋️

暮れに訪ねた沖縄で、ホテルに缶詰めになって、考えさせられ、考えていた表現作品構想だった。

年始早々に、鉄檻三畳一間という構想を実現化へと動きました。1月中旬の三重県独自の緊急宣言にて指定3市に桑名市が入った為、BAR&WORKSHOPは、夜の営業となることもありオープンはしばらく見送り、カフェ時の鉄檻三畳一間を先行始動し、鉄檻制作に入った。

拘束と束縛/鉄檻三畳一間に何を見つけれるのか?それが、作品の存在である。

きっかけは、息子が高校卒業と大学入学がこの新型コロナ感染症拡大と重なった。教授や先生、同じ志で芸術を学ぼうとしている仲間たちとは、パソコンの画面が初めてとなる。学園祭もサークルも、表現の授業すらオンライン。音楽活動もフェスのファイナルに選ばれていたけど、イベント中止。練習スタジオは休業。自宅で練習するも苦情が出て警察が訪ねてくる。本人はとても冷静ではあったけど、その冷静で大人な対応に、親の僕が感情的になっていた。口に出さないけど、ストレスの捌け口に踠いていたのは感じた。旅に行けず、自動車教習所も行けず、歓迎会にも、音楽ライブにも、地元の仲間とも、オンライン再会だったり。祖父母の進学お祝いの会食も出来ず。そんな1年と1年前となる今もなお、制限される日々が続いている。若者が、なぜか、感染拡大を牽引してるかのような扱いをされて、どれだけフラストレーションを器用に溜めていたんだろう。計り知れない。

不公平、矛盾、モラル・・・
それぞれ。


戦時の有事の時も、若者たちが戦地へ向かったこと。特攻隊として国務を果たそうした彼らは小さな食堂で、何を想い、何を伝えたかったのだろうか。愛する守るべき人たちへなにを遺そうとしたのか?


時を越えた現代のこの有事に、僕はなにが出来るのかをずっと考えていた。あの沖縄で。


そんなこともあり、沖縄での制約も重なり、皮肉れ者の僕なりの足掻きと踠きも含め、社会を皮肉って、鉄檻という拘束と、三畳一間という制限をつくるという僕の表現作品をつくってみた。

カフェスペースではないギャラリースペースにつくったのも、作品ということだからです。
あとの後づけだけれど、音楽や演劇、パフォーマンスという表現でも観客スペースが別なのが感染症対策になってくれた。

三畳一間の狭小スペースは密になる筈が、密にならないという皮肉れ感もいいかたちになってくれた。

鉄檻三畳一間に、社会を映してみる。

ふりまわされた分、僕は僕なり倫理で、社会をふりましてみる。




鐵屋+Cafe11年。

2021年04月06日 11時54分26秒 | 鐵屋+Cafe



4月6日の今日♪鐵屋+Cafe11周年を迎えました。皆さまのお支えあってこその時空間に、僕たちの歩みは、今日も存在しております。心より感謝であります。ありがとうございます。夫婦2人、家族で出来ることをコンセプトに、これからもユーモアートで歩んでゆきたいと思います。僕たちが、老夫婦になっても末長くお付き合いいただけれるように日々インプットとアウトプットでがんばります。宜しくお願いします。

10周年は、鐵屋芸術祭として、3祭を予定しておりましたが、2祭を経て、コロナ感染症の影響により、収穫祭(本祭)は、未だ、延期中のままとなっております。今日までに、本祭開催が出来ると思っておりましたが、1年経った今もなお、コロナ感染症の影響の中であります。お力添えいただきました皆さまには、ご迷惑をお掛けしたままです。心よりお詫び申し上げます。世の中が落ち着いた頃、テツノキに、光の葉が花を咲かせ、土の実の恵みを収穫する日を楽しみしております。

テツノキは、一時的に解体しました。とても苦いです。いつか、という曖昧な言葉の中で、何かを縛りたくて、護りたくて、鉄檻という三畳一間の舞台をつくろうと思いはじめました。

何かしらの制約の中で生きることは人々の常ではあるもののと、何かしらの有事によって強いられる制約の中で生きることは非常であるもののとが、鉄檻三畳一間の舞台でどう表現されてゆくのか?

4月11日🔨

扉が間に合わなく、脱走出来ますが、鉄檻は存在します。

お手紙をいただき、嬉しかったです。ありがとうございます。メッセージをいただき、もう5年はがんばれます(笑)


沖縄と鉄。

2021年03月24日 17時09分01秒 | 日記


僕の中に流れるDNAは、時に、人の命を奪い、時に人の命を守りました。


沖縄という島に初めて訪れた時、どこまでもつづくフェンスに、僕は、二色の青い海や高い空、深い緑、燃ゆる赤い土、笑顔絶えまぬ老人や子供たちとの点と線が見えてきました。今も、それは続いています。これからも。


そして、鉄の雨という言葉は、今でも心に突き刺さったままです。



生きるということ。暮らすということ。それは、とてもしたたかであり、とってもやさしく。


自然の厳しさに、堪えれる術を持ちながら、人の厳しさにも堪える術を何に見つけれたのだろうか。島唄や踊り、文化、風習、言葉、リズム、基地のこと、僕には分からないことだらけだけど、鉄と向き合えば、向き合うほど、沖縄と向き合ってゆくのです。


自分でもよく分からないのですが、それが、いま、正直な僕の鉄であります。命を守る鉄を僕は、つくれるのでしょうか。

これからも。
ずっと。

2017年個展につづく。

食べることは生きること、
暮らすことはつくること。
この教えは、沖縄で出逢った
ずっと抱きしめている言葉です。

この二つの言葉を
僕は仕事にしようって思ったのです。

#沖縄

#鉄

#鉄の雨

#鉄彫刻家

#イマオカヒデノリ


撮影を終えました。

2021年03月16日 22時08分10秒 | 創作・活動 


物腰が柔らかく、
腰の低い、
気遣いあるお方でした。

またお逢いしたいです。

鍛鉄の鉄スプーン、
喜んでいただけて
良かったです。

#撮影
#TV番組
#5月2日放送
#メーテレ
#移動式コークス

撮影。

2021年03月16日 22時05分50秒 | 創作・活動 


朝、描いた。ある人への贈り物。それ、自分へということもあるのだ。ソワソワしたから。二日酔いは、人間らしく。

幸せの青い情熱とAI搭載TRAINの旅。
二連作品。

なるべく小さな幸せと
なるべく小さな不幸せ。

頭を垂れる稲穂かな🌾

TV番組撮影前の早朝。

#平面
#キャンバス
#イラスト
#鐵屋+Cafe
#KUROGANEYA
#イマオカヒデノリ