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まいかのあーだこーだ

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2023.06.03
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朝ドラ「らんまん」の東京編。
いろんな人物が次々に登場しています。

土佐にいたときは、
坂本龍馬にしろ、池田蘭光にしろ、
早川逸馬にしろ、ジョン万次郎にしろ、
進歩的な考えの人たちに出会うことが多かったけど、

さすがに東京は、
かつて幕府のお膝元だっただけに、
佐幕派と倒幕派がせめぎあった記憶がまだ生々しい。



長屋に住む倉木隼人は、
佐幕派の人間で、彰義隊の生き残りです。

その妻の倉木えいは、
彰義隊の行進のときに彼を見初め、
上野戦争で血だらけになったところを救ったのだと。

江戸城下で育った人たちは、
薩長が幅を利かす新政府なんぞより、
彰義隊を応援する気持ちが強かったのかもしれません。

社会を二分した戦いの傷跡が、
当時の東京にはまだ生々しく残っていて、
倉木のような敗者のなかには、
新しい時代に背を向けている人たちもいたのでしょう。



大東駿介の演じる倉木は、
登場したときから異様な存在感を放っていましたね。
不穏なやさぐれ感と同時に、ただならぬ色気もあって…。

最初は「この俳優誰だっけ?」って感じで、
大東駿介の名を思い出すまで、だいぶ時間がかかりました(笑)。

妻を演じる成海璃子も、
この手の役はとても上手いので、
この夫婦だけで1本のドラマになりそうな感じ。
なんなら倉木夫婦だけのスピンオフを見てみたい!



…彰義隊といえば、
大河「青天を衝け」の渋沢喜作が率いた部隊です。
喜作を高良健吾が、平九郎を岡田健史が演じていました。

しかし、渋沢喜作は、
結成してまもなく、副長の天野八郎と対立したので、
別動隊の「振武軍」を結成しました。

結果的には、
彰義隊も、振武軍も、
新政府軍に敗れて、ほぼ全滅。
とくに平九郎は凄惨な死を遂げました。



このような佐幕派に対して、
寿恵子の父は、彦根藩(井伊家)の旧士族。
佐幕派と倒幕派の板挟みになりつつも、
いちおうは開国派だったろうと思います。
しかし、新政府の陸軍に入隊し、落馬事故で死んでしまった。

寿恵子の母は、
お妾さんだったとはいえ、
どこかしら旧士族の誇りを持っているように見えます。



そして、
鹿鳴館のオジサンたちは、まったくの開国派。
みんな留学帰りなのだと思いますが、
いまや文明開化を推進している欧化主義者です。

手前が東大の田邊教授。
左隣が政府高官の佐伯遼太郎。
正面が管弦楽協会理事の名須川正宗。
右側が旧薩摩藩の高藤雅修。

ピアノを弾いてるのはクララ・ローレンス。


みんな既婚者のはずですが、
外国人のクララや、若い寿恵子にまで色目を使っている。
渋沢栄一も、フランス流の自由恋愛の流儀で、
妾や愛人をたくさん作っていましたが、それと同じです。



田邊教授のモデルは、矢田部良吉。

実際、矢田部は、
植物学者でありながら、
鹿鳴館時代の欧化政策に深くかかわり、
音楽についても「俗曲改良」などを提唱していました。

詩歌の改良を目指して矢田部らが編集した『新体詩抄』からは、
「抜刀隊」(詞:外山正一/曲:シャルル・ルルー) という軍歌が生まれ、
1885年に鹿鳴館の大日本音楽会演奏会で発表されました。
これが七五調の歌詞を導入した最初期の西洋音楽だったそうです。


矢田部がクララ・ホイットニーにつきまとっていた、
…みたいな実話もあります。
いうまでもなく彼女がクララ・ローレンスのモデルです。

政府高官の佐伯遼太郎は、
てっきり井上馨がモデルかなと思いましたが、
「井上外務卿」の名前はちゃんと出てきたので、
ほかに誰かモデルがいるのかもしれません。

管弦楽協会の名須川正宗は、
音楽取調掛の伊沢修二あたりがモデルでしょうか。



そして問題なのは、
薩摩出身の実業家、高藤雅修ですよね!

薩摩の実業家といえば、
なんといっても五代友厚のことを思い浮かべますが、
当時の彼は、おもに関西で活動してましたし、
この翌年ぐらいには病死してしまいます。

なので、
むしろ高藤のモデルは、中井弘じゃないかと思います。
彼は、薩摩出身の政治家で「鹿鳴館」の名付け親。

ちなみに、中井弘は、
大隈邸に出入りしていたころ、
柳橋の芸妓だった新田武子に一目惚れして強引に結婚した、
との伝説があります(真偽は怪しいですが)

今回のドラマで寿恵子に一目惚れするエピソードは、
この伝説を彷彿とさせます。
中井弘は4回も結婚しているらしいのです。

なお、中井が惚れた新田武子とは、
のちの井上馨の妻、すなわち井上武子のことです。
大河「青天を衝け」では、愛希れいかが井上武子を演じていました。


大河では、渋沢兼子が養育院でバザーを開いていましたが、
井上武子も、渋沢の娘の歌子らと鹿鳴館で慈善バザーを開催したそうです。




ついでに、東京大学の友人たち。
彼らにも実在のモデルはいるでしょうか?

左から、万太郎、堀井丈之助、波多野泰久、藤丸次郎。


ウサギの世話をする藤丸くんは、
キノコなどの菌類研究を志しています。
彼の実家は酒問屋だそうです。

そのモデルと思しき人物が何人かいます。

1人目は、白井光太郎(1863年生まれ)
2人目は、田中延次郎(1864年生まれ)
3人目は、南方熊楠(1867年生まれ)です。

みんな菌類学者です。
牧野富太郎が1862年生まれなので、年齢も近い。

いちばん可能性が高いのは、田中延次郎です。
実家が酒屋だということもあるし、
牧野の自叙伝にも、

市川延次郎(後に田中と改姓)・染谷徳五郎という二人の男が、当時選科の学生で、植物学教室にいたが、私はこの両人とは極めて懇意にしていた。市川の家は、千住大橋にあり、酒店だったが、私はよく市川の家に遊びに行った。

…とあります。
藤丸くんも「隅田川の手前、千住の南で問屋をしてる」と言ってます。



南方熊楠も、
牧野と同じく、1884年に東大に入っています。

熊楠が入ったのは、現在の教養学部で、
牧野が通ったのは、現在の理学部だと思います。

熊楠は和歌山出身で、実家はもともと金物屋でしたが、
ちょうど1884年に父親が「南方酒造」を創業しています。
(酒類への税制が厳しい時期に事業をはじめたのですね)
現在も「世界一統」という会社が存続しています。

熊楠は、
菌類の標本採集に明け暮れて、翌年には大学を中退しています。



メガネをかけた波多野くんは、
植物交配による品種改良を志しているようです。

誰がモデルなのかは、よく分かりませんが、
先の自叙伝に出てくる染谷徳五郎なのかもしれません。

ちなみに、明治時代には、
「団十郎朝顔」というアサガオの品種が流行しました。



東大の植物学教室には、
野宮朔太郎という画工も出入りしていますね。

そのモデルは、平瀬作五郎だと思います。
彼は、福井や岐阜の中学校で図画を教えたあと、
1888年から東大の植物学教室に勤務していました。

なお、洋画家の岡不崩らも、
東大理学部の付属施設である「小石川植物園」で、
1886年から植物を描いていたようです。
※1897年には植物学教室が小石川植物園に移転します。



最後に、
おなじ長屋で文士を目指す堀井くんのモデルは、
まちがいなく坪内逍遥でしょう!!

東大の落第生だったところも堀井くんと同じだし、
TOKYO FM「yes」のサイトには、

≫ ハムレットの登場人物論を滝沢馬琴的観点で論文にしたが、酷評を受け試験に落ちた

とのエピソードが載っています。
これも、堀井くんの話とまったく同じです。

堀井くんは文学雑誌の創刊を目指してるようですが、
坪内逍遥は、1891年に『早稲田文学』を創刊しています。

長田育恵が語る坪内逍遥。



なお、南方熊楠も、坪内逍遥も、
寿恵子と同じように「滝沢馬琴マニア」のオタクでした。

なので、
藤丸くんや堀井くんも「馬琴マニア」の可能性があります。
万太郎がうかうかしていると、
馬琴マニアどうしが仲良くなってしまうかもしれません(笑)。






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最終更新日  2023.06.19 16:16:36
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