鑑三翁は1930(昭和5)年3月にこの世での仕事を終え帰天している。69歳。当時としては長寿である。私はその年齢をとっくに越したが、最近心身に「老化」の兆候が迫ってきてかなわない。目にも歯にもあそこにもどこにも不具合が来ている。ふと私を襲っている老化の兆候は鑑三翁も経験したのだろうかと思う時がある。鑑三翁は心臓の病を持っていたから、その不快な身体症状は耐え難かったのではないかとも推測できる。それらの日々については鑑三翁の日記に記されているが、それは病気の症状に関してのものであり「老い」の実感を殊更記しているのではない。しかし神から遣わされた天才預言者にも老いは確実に到来していたはずである。鑑三翁の「老い」に関する論稿は少ないが、これに関しては後日触れることにする。
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妻と朝の軽食をとり寝室兼書斎でラジオ体操もどきの軽体操をして机に向かう。この体操は私が勝手に””秘鍵体操”と称している。子どもの頃に習得したラジオ体操を基本にヨガの映像や何やら拳法を見て”創作”したものである。手足に力を入れて急に伸ばしたり無理に曲げたりすると関節や筋肉に痛みが来てしばらく治癒しないことがわかっているので、我が体操はナマケモノの如くカメのごとくのろい。およそ15分。この体操は瞑想とともに行う。この運動は「祈りにおいて無となること」(キルケゴール)を目ざして始めたと記憶している。そして「わたしはここにいる、わたしはここにいる」(イザヤ書65)、「禅那正思惟/能所観法」(空海秘鍵)、「神秘主義的実存」(井筒俊彦)、「瞑想により自己消滅を企図する禅とキリスト精神の合一を図ること」(佐藤研)‥こうした世界観を覗き体感しようとして続けてきた体操だ。だがとてもとても、その高踏的目的達成はいつになることやらわからない。恐らく生涯無理だろう。体操しながら瞑想するつもりなのに耳に入るTV報道の猥雑に心乱され、心身一如(道元)、陀羅尼の世界に没入することなど夢のまた夢の如し。ふと体操をしながら鑑三翁の言われる砂漠の荒野での「イエスやパウロの試練」を思い起こして、私のこの体操は屁のようなものだな‥と考えるにつけ身体中から風船のガスが抜けていくような日々体操。でもこの体操をやめる気はない。
体操の後に血圧も測る。このところいい具合の血圧だ。B6の血圧記録帖に記録する。月一回の受診日に主治医から提出を求められているので、小学校の宿題のように私はその日に主治医に提出する。主治医は毎度「まあまあですね」と言う。これが何年も続いている。血圧測定の後机に向かう。と言っても最近は興味を引く書籍はほぼないので、図書館通いも減り、自分のかつて読んだ本を再度読み直すことが多い。意外なことにかつて読みふけった書籍から再発見することも多い。
今日は右肩が痛い。昨日は左の肩だった。膝は右も左も常に軽い痛みがある。腰の痛みは慢性的で痛みの強い時には妻が買ってきてくれた腰痛サポーターを装着する。医者には複数の医師にかかったが、「これは老人性ですね」「痛みの強い時には鎮痛薬を」「脊椎管狭窄なので完全治癒は無理でしょうね」とまぁこんな具合の返事しかない。仕事柄知己の医師も多いので彼らに腰痛の治療法を聞くと、何と彼らの大半が腰痛の持病を持っていて驚くのだが、彼らが推薦する治療の方法は一定しない。何軒かの針灸院にも通ったが屁の如く効果がないのでやめた。鍼灸師のウデの問題もある。いたずら好きの妖精が針を持って私の身体の中を飛び跳ねて遊んでいるのだろうか。
皮膚が時々かゆくなるので皮膚科の医師に相談すると、ものの一分で診察は終わり「あぁ老人性の皮膚掻痒症です、軟膏を処方しますね」でステロイド軟膏を受け取ってチョン。メガネは何万円も出して遠近両用のものを使っていたがこれが最近全く会わなくなり、ホームセンターで見かけた老視専用コーナーで「+1」~「+5」の物を見つけ「+2.5」の具合がいいので買ってきた。二千円也。「聖書」などの細かい文字を読むのには最適だ。そして普段は遠近両用メガネも不要になった。主治医によれば眼筋が古くなったゴム輪のように伸びきって元にもどらないのだそうだ。ゴムがゴムではなくなるわけだな。これをなぞれば人が人でなくなる‥とか。
歩いて10分ほどの駅の4階にできた区立図書館に頻繁に通っていたが、午後一番で行くと大方の利用者は老者ばかりである。冷暖房完備なのでここに休憩をとりにくるらしい老者も多く、小さな水筒持参の者も多い。午後3時過ぎ頃になると学校帰りの高校生が目立つようになるが、一日ここで粘っている老者に座席は占拠されているので生徒たちは戸惑っているのが日々の風景。声には出さないが生徒の彼彼女たちは「老人は家に帰れ!」と叫びたいのではないか。
幸い耳の聞こえはいいが最近少しずつ耳にも老化が迫っているように思う。歯医者通いも年に数回。虫歯ではなく歯槽が薄くなってきたので歯根がぐらついてきているのだそうだ。一か月ほど前には奥の親知らずを一本抜歯した。生まれて初めての抜歯だ。麻酔で痛みはないが「キュッキュッ」と頭蓋骨の内部の深い所に伝わる抜歯の音が地獄の閻魔様の宣告のように聞こえた。
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ヘルマン・ヘッセの言葉である。ノーベル賞作家ヘッセが76歳の時の一文だ(1953年)。
【老齢と老衰は進行する。時として血液はもうそれほど正常に脳を通って流れようとしなくなる。しかしこの弊害は、よく考えてみるとよい面ももつ。人は、もうかならずしもすべてのことをそれほどはっきりと、強烈に感じなくなる。人は多くのことを聞き逃すようになり、多くの打撃や、針の刺し傷などもまったく感じなくなる。かつて自我と呼ばれた存在の一部は、まもなく全体とひとつになってしまうところに行ってしまうのだ。】(ヘルマン・ヘッセ、V.ミヒェルス編、岡田朝雄訳:人は成熟するにつれて若くなる. p.190、草思社、1995)
統合失調症の患者は「焦り」感情が強い人が多い‥と精神医学書にあった。著者は誰だったのか忘れてしまったが、私は最近「焦り」の感情が極小になってきていることに気づいた。