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先祖を探して

Vol.316 ご先祖さまの名前について ③中城の名前の謎に迫る!

ご先祖様の名前、ずっとずっと謎でした。
記録上の始祖がなぜ「中城」なのか?人の名前っぽくないですし、かといって住んでいた屋敷があった場所の地名ではないですし。

ご先祖様が住んでいた場所は「直城:なおしぐすく」という場所で、島では「ノーシグスク」といいます。
沖縄では「中城」は「ノーシ」と読んだりするので、「直城」という意味で「中城」だったのでは?という考察を以前に書きました。
この「中城:ノーシ」説は、ある方からご教授頂いた時に、目からうろこで「これか!」って謎が解けたようで感激でした。
それは今でも変わっていないのですが、この中城についてあることを思いついたのです。

地名などを見ていく時に、島で発音されていた地名に薩摩統治以降に漢字を充てていったことは前回書きましたが、おそらく名前もそうだと思います。
中城は1619年生まれだというお爺様の記録がありますが、生まれた時には島はもう薩摩統治の時代でした。漢字が使われるようになったのは1660年の万治検地以降と考えれば、中城41才の頃。年齢的に与人をしていた頃で、その頃に中城の漢字が充てられたのではないのかと。

この中城ですが、ひらがなで書けば「なかじろ」
沖永良部の方言では母音は3音「あいういう」です。
エラブ式で発音すると「なァかァじィろゥ」となります。もしこれに名前風の漢字を充てるなら例えば「仲次郎:なかじろう」とか。
中城は「なァかァじィろゥ」の発音を聞いて充てた漢字ではないかという考察です。
本人が琉球を意識してチョイスした漢字であったのか?薩摩側が勝手にチョイスしたのか?それは分かりませんが、これまで漢字の意味などばかりにフォーカスして考えていましたが、発音からの充て漢字だと考えると、こういった発想も飛び出してきました。あくまで憶測なので、事実ではありません。

本当の名が「なかじろう」であったとするならば、世之主の母方の家系といわれる要家のご先祖様「次郎がね」の「じろう」がかぶってきます。年代的に見れば「次郎がね」は中城の親の世代と思われるので、こちらとの関係も少し近くなった気がしてワクワクしてきます。

発音と漢字の充て字から見た名前のこと、もう少しありますので次回に書きます。


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