昨夏の話ですが、北海公園の瓊華島と白塔に行ってみました。
北海公園は、遼の時代の938年から造営が始まった古い庭園です。皇帝用の離宮で、現存する中では世界最古の皇室庭園と伝わります。
白塔は北海の南側に浮かぶ築山である瓊華島の頂上にあります。
瓊華島は元朝の時代に作られた築山です。高層ビルが立ち並ぶ今でこそ目立ちませんが、白塔ができた当時は頂上地点である112メートルは北京城内の最高地点だったそうです。
当時は目立っていたのだと思います。
白塔は清朝初期の1651年に順治帝がつくらせたチベット式のストゥーパ、ラマ塔です。
中国五大ラマ塔のひとつだそうです。北海公園を象徴する存在です。
このとおり個性的な形をしていますので、市内の30階以上の高いビルに登ると遠くからでも視界に入ります。
戦前の古い写真にもよく出てきます。
清の時代には、この島で大掛かりな仏教行事が行われたそうです。毎年12月15日に、山の下から塔の上まで灯をともし、ラマ僧が経典や偈文を唱え、ホラガイを吹き、太鼓を叩いて加護を祈願したのだとか。
瓊華島は築山から約1000年が、白塔は建造から約370年が経過していますが、保存状態は良好です。
何度か再建や修復を重ねてきたようですが、それにしてもここまで姿を残しているのは立派なものだと思います。
ちなみに、元朝の初代皇帝だったフビライ(クビライとも)は在位中の一時期、この瓊華島に住み、頂上(現在白塔があるところ)に設えた広場で要人をもてなしたそうです。
フビライが愛でたのはこういう景色だったのでしょうか。
なお、芥川龍之介もここを訪れています。1921年のことです。
芥川は、著書でここを訪れたときの様子をこう描写しています。
永安寺。この寺の善因殿は消防隊の展望台に用いられつつあり。葉巻を啣えて殿上に立てば、紫禁城の黄瓦、天寧寺の塔、アメリカの無線電信柱等、皆歴々と指呼すべし。
ここでいう善因殿とは白塔と繋がっている付属施設です。今もあります。芥川は直接白塔には言及していませんが、彼が葉巻をくわえて見たのは白塔から見た景色だったのだろうと思います。
ここから天寧寺塔までは直線で6キロほどです。今は見えないようでした。
中腹には二つの石碑が並んでいます。
右側は白塔を設立した当時に順治帝がつくったもの、左側は雍正帝がつくったものだそうです。
これが順治帝です。1651年です。過去に中央から真っ二つに割れたことがあるのでしょうか、修復跡があります。
北海公園は日本占領時代も人気の観光地だったらしく、1939年に北京特別市公署が発行した「北京之観光」というパンフレットでは最初に紹介されています。
パンフレットにはこのように書かれています。
もと天子の御苑で、中にある島を瓊華島と称し、高い山を白塔山と称して居ります。東北山麓に乾隆帝御筆の瓊島春陰の碑があり、此処の花曇り景色は北京八景の一に数えられて居ります
これが「瓊島春陰の碑」です。乾隆帝の揮毫です。こちらは1751年だそうです。
北海公園は、遼の時代の938年から造営が始まった古い庭園です。皇帝用の離宮で、現存する中では世界最古の皇室庭園と伝わります。
白塔は北海の南側に浮かぶ築山である瓊華島の頂上にあります。
瓊華島は元朝の時代に作られた築山です。高層ビルが立ち並ぶ今でこそ目立ちませんが、白塔ができた当時は頂上地点である112メートルは北京城内の最高地点だったそうです。
当時は目立っていたのだと思います。
白塔は清朝初期の1651年に順治帝がつくらせたチベット式のストゥーパ、ラマ塔です。
中国五大ラマ塔のひとつだそうです。北海公園を象徴する存在です。
このとおり個性的な形をしていますので、市内の30階以上の高いビルに登ると遠くからでも視界に入ります。
戦前の古い写真にもよく出てきます。
清の時代には、この島で大掛かりな仏教行事が行われたそうです。毎年12月15日に、山の下から塔の上まで灯をともし、ラマ僧が経典や偈文を唱え、ホラガイを吹き、太鼓を叩いて加護を祈願したのだとか。
瓊華島は築山から約1000年が、白塔は建造から約370年が経過していますが、保存状態は良好です。
何度か再建や修復を重ねてきたようですが、それにしてもここまで姿を残しているのは立派なものだと思います。
ちなみに、元朝の初代皇帝だったフビライ(クビライとも)は在位中の一時期、この瓊華島に住み、頂上(現在白塔があるところ)に設えた広場で要人をもてなしたそうです。
フビライが愛でたのはこういう景色だったのでしょうか。
なお、芥川龍之介もここを訪れています。1921年のことです。
芥川は、著書でここを訪れたときの様子をこう描写しています。
永安寺。この寺の善因殿は消防隊の展望台に用いられつつあり。葉巻を啣えて殿上に立てば、紫禁城の黄瓦、天寧寺の塔、アメリカの無線電信柱等、皆歴々と指呼すべし。
ここでいう善因殿とは白塔と繋がっている付属施設です。今もあります。芥川は直接白塔には言及していませんが、彼が葉巻をくわえて見たのは白塔から見た景色だったのだろうと思います。
ここから天寧寺塔までは直線で6キロほどです。今は見えないようでした。
中腹には二つの石碑が並んでいます。
右側は白塔を設立した当時に順治帝がつくったもの、左側は雍正帝がつくったものだそうです。
これが順治帝です。1651年です。過去に中央から真っ二つに割れたことがあるのでしょうか、修復跡があります。
北海公園は日本占領時代も人気の観光地だったらしく、1939年に北京特別市公署が発行した「北京之観光」というパンフレットでは最初に紹介されています。
パンフレットにはこのように書かれています。
もと天子の御苑で、中にある島を瓊華島と称し、高い山を白塔山と称して居ります。東北山麓に乾隆帝御筆の瓊島春陰の碑があり、此処の花曇り景色は北京八景の一に数えられて居ります
これが「瓊島春陰の碑」です。乾隆帝の揮毫です。こちらは1751年だそうです。