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中国東北部に広がる朝鮮族のエリア - 国境の概念が明確になったのは日清戦争後

2022-06-22  カテゴリー:李氏朝鮮

中国東北部に広がる朝鮮族のエリア - 国境の概念が明確になったのは日清戦争後

Photo by Pqks758 (licensed under CC BY 3.0)

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広域に分布する朝鮮族

朝鮮族(朝鮮語族)とは、中国の吉林省、黒竜江省、遼寧省などに点在している。理由は簡単で、歴史的に朝鮮族はこの辺一帯に住んでいたからだ。万里の長城の外側にある地域であり、厳格な国境の概念など当時存在していない。北京五輪の開会式で中国の少数民族として朝鮮族がチマチョゴリを着て演出を行っていたのは記憶に新しい。

遼東半島は三国干渉の対象に

高句麗の時代、朝鮮族の居住地域は遼東半島まで至っている。日清戦争講和の際には日本は遼東半島の領有を主張した。それは遼東半島は朝鮮の土地だという考え方と中国に対する戦略的な意味を持っていたが、北京にあまりにも接近していることに危機感を持った仏、独、露の3国干渉によりこれを放棄することになった。

北部は農業に適さなかった

この時初めて朝鮮の領土、国境という概念が出来たとも言える。日本統治時代、朝鮮北部は農業には適さず、工業を中心に開発された。朝鮮南部は農業主体としている。

北部の農民は満州地域に農地を求めて移住を行う。満州は雨も降り、朝鮮北部よりは農業には適していた。この辺りは満州族が地主として存在していて、多くのトラブルが頻発してた。

日本名を欲しがった朝鮮人

そこで、北部の朝鮮人は日本名をとても欲しがった。なぜかというと、日本名を名乗れば満州人から虐められることがないからだ。

五族協和を目指した満州国

その後、柳条湖事件を経て満州国の建国となる。満州国の建国理念は日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人の五族協和だ。

これにより、朝鮮人は迫害を受けることなく安全が確保され、農地は大幅に拡大することになりました。満州国と、朝鮮族の居住エリアを比較したら大体一致することが分かるでしょう。




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