山県有朋 明治日本の象徴 (岩波新書)
安倍元首相の国葬の弔辞で、菅前首相が本書の中の山県有朋の歌を引用したのは感動的だった。

かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

これがきっかけで、本書(電子版)がアマゾンのベストセラー1位になっているが、この歌にはちょっと首をかしげた。山県は伊藤に「尽くす」関係ではなかったからだ。もちろん弔辞だから故人を持ち上げたのだろうが、山県と伊藤はライバルといったほうがよい。

2人とも長州藩士だったが、山県は1838年、伊藤は1841年生まれである。2人とも足軽の子で、江戸時代には一生、指導者にはなれない身分だった。松下村塾に入って尊王攘夷の思想に共鳴したところまでは似ているが、山県は優等生ではなかったのに対して、伊藤は藩の留学生として井上馨とともにヨーロッパに行った。


伊藤はロンドンで西洋の強大な軍事力に驚き、帰国して長州藩の家老に攘夷思想を捨てるよう説いたが、山県は攘夷にこだわり、その後も2人の路線対立は残った。伊藤が西洋をモデルにして憲法を制定し、立憲国家の建設を急いだのに対して、山県は軍備強化に力をそそいだ。

伊藤は内閣が軍をコントロールできない憲法の欠陥に気づいて、その改革を試みたが、山県は政党政治に反対し、統帥権を独立させた。この2人のねじれた関係がその後の日本の進路を決めるが、この対立は1909年に伊藤が暗殺されて突然、終わってしまう。

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