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長期目標について(1)

2024-03-23 | yy95長期目標について


(95 長期目標について  begin)




95 長期目標について

長期目標を立てる。人はなぜ長期目標を立てるのか?
たとえば、天下を取る。半永久的に維持する。徳川家はなぜそれを長期目標としたのでしょうか?
徳川家康は、天下を平定しようとしました。関ヶ原の戦い(一六〇〇年)に勝利した後、一六〇三年に朝廷から征夷大将軍に任命してもらいました。大阪城を陥落(一六一五年)させた次の年、七四歳で病死。家康は一六〇五年、実子徳川秀忠に将軍を継がせましたが、死ぬまで政治の実権を握っていました。
二代将軍秀忠(在職:一六〇五年―一六二三年)は家康が構築した日本支配の政治システムを強化しました。歴史上、次の三代将軍徳川家光(在職:一六二三年― 一六五一年)の時代にいたって、この徳川日本の統治システムは完成した、とされています。
家康が立てた長期目標は達成されました。
徳川家が天下を平定する、晩年の家康が立てたこの長期目標はどのような内容だったのでしょうか?
戦国武将として勝ち上がってきた徳川家康が最後に達成したかった目標は、抽象的に言えば、すべての武力を永久に抑える力を持つこと、だったといえます。
具体的には武力を持つすべての大名、個々の武士、僧侶、貴族、言論人、商人、百姓その他反抗しそうな者すべてを抑え続けるシステムを構築し、永久にそれを維持する。そのためには現状で利用できるシステムは最大限使います。
天皇の権威を利用して征夷大将軍にしてもらい、子孫代々に永久継承させる。子孫が絶えないように後宮を整備し、多くの子を設けて王族を形成する。古今東西の王者の常套手段です。
征夷大将軍になればすべての武家勢力に自由に命令できるはです。実際にはこのシステムの維持に忠誠を尽くす実行組織を作らなければなりません。
反抗するものは滅ぼす。服従するものには地位と金を与えて支配する。
関ヶ原の戦いや大阪城戦に勝利して敗者の大名から取り上げた広大な領地や財宝を、部下や味方に再分配する。もちろん同時に自分の領地と資産は大幅に増加させます。
幕府は一六六四年(寛文四年)に初めて全大名(一万石以上)に領知宛行状というそれぞれの領地と石高を確定した文書 を一斉に与えました(寛文印知)。
全国の石高の総計は約三千万石ですがそのうちの七百六万石を徳川家が所有していました。これに親藩御三家の所有地を加えたものが徳川政権の土台をなしています。食料(コメ)を毎年生産できるこの資産(耕地と百姓)を全国の部下に配分して、幕府人員、旗本、御家人を支配する。








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