記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

博多郵便局100周年

2023年11月10日 23時15分45秒 | 福博まちの記憶

博多郵便局が2023(令和5)年11月1日に開局100周年を迎え、11月9日・10日に記念イベントが開催された。現在の博多駅中央街に移転したのは1966(昭和41)年9月、それ以前は旧馬場新町(現在の冷泉町)の冷泉山龍宮寺の南隣にあった。

1枚目の写真は開局1周年記念の絵葉書。しかしながら、記念スタンプや切手を眺めると万国郵便連合加盟50年の切手とスタンプには1927(昭和2)年11月1日とある。所有している同じ絵葉書がもう1点あり、そちらは1928(昭和3)年11月1日の日付スタンプと同年秋の昭和天皇御大典記念の切手。これから推察できるのは、1923(大正12)年11月1日に開局して、毎年開局記念日に記念スタンプと切手を押した絵葉書を販売していたということか。

旧庁舎の施工は福岡県内で最も歴史ある建設会社の岩崎建設。同社の社史には1923(大正12)年9月30日に建物が完成し引き渡したことが記されている。

2023(令和5)年12月1日、博多駅は1963(昭和38)年12月1日に現在地へ新築移転してから60年の節目を迎える。それまでの博多駅は、現在の大博通り・商工会議所入口交差点(地下鉄祇園駅)付近にあったため、駅の移転にともない1966(昭和41)年9月に博多駅中央街へ移転した。2枚目の写真は、移転前(現・冷泉町)の全景で、右隣に龍宮寺の山門屋根とシンボルだった大銀杏が見える。

2007(平成19)年に「冷泉のあゆみ〜博多のまちづくり戦後史」を執筆編纂した際、終戦で消失を免れた博多郵便局の庁舎は1945(昭和20)年9月末に進駐軍(連合軍)が博多入りした際に接収されたことを知った。祇園交差点南側にあるパチンコ店「GION11」の場所には、戦前の福岡で最上級と言われた「博多ホテル」があった。ホテルは占領軍の宿舎となり、隣接していた博多郵便局も接収されて、同じく消失を免れていた渕上呉服店(瓦町=現在の上川端町、祇園マーケットの場所にあった)を仮庁舎とし、1949(昭和24)年に接収解除されるまで使用された。

余談だが、亡くなられた渕上さんらに伺った話を少しだけ。渕上呉服店は同1949(昭和24)年に建物を新設道路(現・国体道路)の南側へ移設し再開。その後、1953(昭和28)年頃までに渕上百貨店となり、1960年代には丸栄、さらにユニードへと進化した。博多駅が現在地へ新築移転した翌年の1964(昭和39)年春には駅ビルに大光百貨店を開店、しかし当時の博多駅は「ホコリ高きステンション」と揶揄されるような、田園地帯にポツンと駅ビルだけが建ち、道路も未舗装で雨が降った後は土ボコリが舞い上がったそうだ。当時は用水路が縦横に走っていて、ドジョウが普通に釣れたというから驚く。大光百貨店はわずか3ヶ月で撤退し、跡のフロアには博多郵便局が移転する少し前に井筒屋百貨店が進出した。

1966(昭和41)年9月に博多駅中央街へ移転した博多郵便局、当時の写真を見ると4階建てだったようだ。上は改築後、2003年頃に撮影した写真。以下は手元にある「博多駅地区土地区画整理事業工事完了記念写真集(1970年)」掲載の写真だ。

その後、博多郵便局は再開発にともない2013(平成25)年9月から2016(平成28)年4月まで仮庁舎で営業。同4月25日、完成したJRJP博多ビル1階へ移転して現在に至っている。

近年、天神ビッグバンや博多コネクティッドなど大型再開発プロジェクトが進む福岡市中心部、博多駅前エリアも1960〜70年代に完成したビルの再開発が加速している。JR九州さんや博多まちづくり推進協議会が開校している「はかた大学」での数回の講師役をはじめ、今年は歴史ある九州ビルヂング協会さんご依頼の講演も2度、今年7月に福岡進出120周年を迎えた三井住友銀行さんの記念冊子編纂や記念祝賀会の講演まで担当する機会に恵まれた。

重ねて、1963(昭和38)年12月1日に博多駅が現在地へ移転してから間もなく60年。移転当時の福岡市の人口は70万人余だったようで、政令指定都市への昇格を経て160万都市へと成長してきた歴史や経緯を、様々な文献や資料から学び読み解く日々が続く。

博多郵便局よりも歴史が古く複雑な「福岡中央郵便局」の歴史、さらに博多駅の現在地移転に伴う歴史秘話はまたの機会に…。

 

天神の過去と今をつなぐ(西日本新聞meの連載)

・にしてつWebミュージアム(企画構成を担当)


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