蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

母が作る嫌いな料理

2022-08-02 | 思い出
日曜の夜は、わたしは唐揚げ屋さんになった。
量は1300gと、さほど多くはないが、揚げ続けると唐揚げ屋さんの気分を味わった。
ずっと揚げ続けるのは、キッチンにも自分にも油が回る。

不思議なのは、孫たちが揚げているところを見たがることだ。
「油が跳ねて危ないから近寄らないで」と何度言っても近寄って来る。
「離れて!」とキツく言うと、わざわざ食堂から椅子を運び込み、それに乗って遠巻きに見学している。
なんで見たいのか、よくわからないが、見たいのだろう。
2歳女児が近寄ってくると、もうお手上げ。
全力で怖い顔をして遠ざける。
すでに作っておいた、お惣菜を大皿に盛り付けて流し台横の調理台に置いていたら、彼女は背伸びをして手を伸ばして大皿の端っこを掴もうとする。
「ああ〜、だめだめ、だめよ〜」と、大皿を2歳児の手の届かない炊飯器の上に不安定ながら置き替える。
蓋がカーブしている炊飯器の上なんかに置いて、ひっくり返したらどうする気?わたし。
で、また違う置き場所をお皿を持ったまま、うろうろ探す。
料理どころではない。

と、唐揚げ屋さんをしていたせいで、一個たりとも食べる気がせず。
おかげで、翌朝はまあなんと体重減少だこと。
当然の結果なのだが、少し嬉しかった自分もどうだか。

唐揚げは、キッチンがべとべとになるし、食器棚や中に入っている食器までべとべとする。
そのせいもあり、娘一家は自宅では揚げ物はせず、揚げ物はいつもうち(親宅、実家)。
とほほ、、、ではあるが、「おばあちゃんちの揚げ物」と、ほんの少しでも記憶に残ればいいかなあと。

ちなみに、長女は、育った実家(親元、うち)では、いつも夏はソウメン、冬はおでん、だったので、うんざりして大嫌いだそうだ。
おでんは、時間がかかるのに、ケシカラン。
それで長女宅では、ソーメンやおでんが全然食卓に上がらないせいで、うちでは大人気。
しかしながら、そんなに長女にソーメンとおでんを嫌いにさせたとは、、、かと言って、わたしは別に反省はしていない。

まだ田舎に住んでいた、わたしが小学生にもなるかならないかの幼い頃、お腹が空いたわたしたち姉妹は、姉の提案で、バターに砂糖を振りかけて、こっそりオヤツとして食べていた。
ちょっと塩が効いたバターが砂糖の甘さと口の中で混ざって溶けて、とても美味しかった。
これは、お菓子、スイーツの原点かも。
というより、原材料そのもの。手を加えられていない。

わたしがもう少し大きくなって中学生ぐらいだった頃、母に食事メニューについて不満を言ったところ、
「望みすぎ。ええかげんにしとき」とたしなめられた。
なるほどと、すんなり納得した。
2歳上の姉が皆んなの不満をカバーするかのごとく、美味しい手作りミートソースのスパゲッティだの、ブラウンルーから手作りしたビーフシチューだのを作ってくれて、とても感動もので喜んで食べた。
父は父で、近所の昔ながらの洋食屋さんからビーフカツレツやビーフカツカレーを時折り出前注文してくれて、それはそれはプロの味を堪能でき、泣くほど(大袈裟)感激した。
成長期でもあったせいで、それらはとびきり美味に感じた。

長女に、「おかあさんの『母の思い出の料理、味』は何?」と問われ、うーーん、としばし考え込んだ。
母の失敗作や嫌いなメニューは即座に浮かぶものの、美味しかった料理は思いつかない。
それは、母が自分好みの味、材料で料理をし、子供の口、好みを無視していたからに他ならない。
子供の好きなものを作る、などということはなく、自分が食べたいものを作る母。
自分中心主義。ブレない。
それはそれで、一本、筋が通っている。
が、、、。

祖母は、わたしたち子供(孫)の好きな料理も作ってくれた。
これらは思い出に残る。
結局、成長期にこころに残る食べ物は、祖母の料理と姉の作ってくれた料理と、父が取ってくれた洋食屋さんメニューと、最後に、母の(子供の口に合わなかった)マズイ料理。
母、かわいそう。
(他にも賄い係のおばさんや、おばあさんたちが作ってくれた料理でわたしたちは成長したのだが)

これ、子供に嫌われる料理を印象付けたわたしも、母と同じような役どころになっている。
歴史は繰り返す。
しかし、納得がいかない。ぷんぷん。

※写真は、娘婿(次女の旦那さん)が作ってくれたお誕生日メニューの一部。前菜、オードブル。


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