-
不幸な大名・・・坂崎出羽守直盛<以下の文を復刻します。> 坂崎直盛 友人の作家・山元泰生氏から『明石掃部』(あかし・かもん)という本が贈られてきたので、パソコンが故障中にじっくりと読むことができた。私は全く知らなかったが、明石掃部というのは戦国時代のクリスチャン(キリシタン)武将である。彼は中国地方の大々名・宇喜多秀家の筆頭家…
-
走湯山秘訣に見る伊豆山神社と初島の深淵なる繋がり源頼朝が征夷大将軍の守護神として奉り、徳川家康も深く崇敬した伊豆山神社。その悠久の歴史と神秘的な由来を紐解く鍵となるのが、秘伝の書『走湯山秘訣絵巻(そうとうさんひけつえまき)』である。この絵巻は、伊豆山神社がかつて「走湯 […] 投稿 走湯山秘訣に見る伊豆山神社と初島の深淵なる繋がり は VIBRA…2025/04/09 12:43 https://vibration-world.net/dragon-05/
-
走湯山秘訣に見る伊豆山神社と初島の深淵なる繋がり源頼朝が征夷大将軍の守護神として奉り、徳川家康も深く崇敬した伊豆山神社。その悠久の歴史と神秘的な由来を紐解く鍵となるのが、秘伝の書『走湯山秘訣絵巻(そうとうさんひけつえまき)』である。この絵巻は、伊豆山神社がかつて「走湯 […] 投稿 走湯山秘訣に見る伊豆山神社と初島の深淵なる繋がり は VIBRA…2025/04/09 12:43 https://vibration-world.net/dragon-05/
-
甲府城(こうふじょう、別名舞鶴城)- 山梨県甲府市甲府城は、別名舞鶴城とも呼ばれ本能寺の変後に徳川家康が甲斐を支配した際に、甲斐の政務拠点を武田氏の躑躅ヶ崎館から移転したことから始まります。 豊臣秀吉の後北条討伐の後に、甲斐を支配していた徳川氏が後北条氏の旧領に移封になった後、豊臣氏の一門の大名が甲斐を支配している際に、関東の徳川氏を牽制する意味…
-
街道歩き 豊橋やっぱりいい編!!おはようございま〜す!! お天気は不安定ですが、 気温が徐々に上がって来ていますね〜 こんなお天気だからこそ桜も長持ちです。 それでは、、 街道歩き番外編スタートです!! 今回も街道歩きの拠点は豊橋でした〜 新幹線が止まるのが何よりも便利。。 豊橋駅のコインロッカーに荷物を預けていけるので、 重た…2025/04/09 08:30 https://ameblo.jp/libra-person/entry-12893091805.html
-
京都旅行(5)二条城を観光 日曜日は朝から体がだるくて動きも鈍い感じでした。夕方には帰るのでせっかくなので近場で観光をしようと思いました。しかしもうあまり歩きたくありませんでした。それで京都駅に比較的近い二条城に行きました。二条城は慶長8年江戸幕府初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所…2025/04/09 06:41 https://appleminto.hatenablog.com/entry/2025/04/09/064111
-
第69回 静岡まつり静岡の春を告げる風物詩のお祭り静岡まつりは400年と言う伝統ある浅間神社の「廿日会祭」に呼応して、昭和32年(1957年)から始まった市民のお祭りです。ご存じでしたか?徳川家康が駿府で家臣を連れて花見をしたという故事にちなみ“大御所花見行列”をメーンに桜の花咲く頃のおまつりとして市民に親しまれてい…2025/04/09 06:23 https://ameblo.jp/moon-face8203/entry-12893150555.html
-
雨の駿府公園と静岡市歴史博物館雨の散策もまた楽し。←負け惜しみ静岡市でお花見ハイクの予定が雨のため、駿府公園の散策になりました。Aマダムと出かける時は傘必須。静岡まつり当日でした。あいにくのお天気でしたが、駿府公園内の紅葉山庭園では白無垢の花嫁さんの撮影してました。上手く撮れたのは。静岡(清水)生まれの永遠の昭和の小学生。ちび…
-
どこかにビューーンと行く。━其之弍━どこかにビューーンと行く。━其之壱━からの続き tokyosora.hatenablog.com ご飯を食べた後、向かったのは、旧師団長官舎の途中にある高田まちかど交流館(旧第四銀行高田支店)。 高田は、雪が多いので、街はこのように雁木作りになっています。ただ、建て替えなどでなくなったり、違う意…2025/04/08 23:55 https://tokyosora.hatenablog.com/entry/2025/04/08/235519
-
八所明神 御器所八幡宮 女神様と徳川家康戦勝祈願基幹バスだと「円上」地下鉄だと「荒畑駅」が近い。 本殿の奥が素敵でしたが、失礼と思い撮影はやめました。 上品で素敵ですから、是非一度ご訪問ください。2025/04/08 13:40 http://marron.mediacat-blog.jp/e156708.html
-
ジョルダーノ・ブルーノの正体は、まさかの“オダノブ”だった説さて、木内鶴彦氏――臨死体験を経てからというもの、ただの空見上げるおじさんじゃありません。イメージするだけで歴史上の人物に“チューニング”できちゃうという、脳内タイムマシンの使い手です。で、ある日彼がつながったのは――あの天下布武の男、織田信長。……もうここでちょっと笑っちゃいますよね。「この人、絶…2025/04/07 22:30 https://dreamshopes3150.blog.fc2.com/blog-entry-1916.html
-
田沼意次ゆかりの牧之原の城下町(11)大澤寺大澤寺は、元々、高天神城の南東にあり本楽寺と称していました。天正2年(1574年)の高天神城の戦いにて、徳川方の陣として使用されたことにより、兵火で焼失。その後、徳川家康の支援により、相良大沢に再建、本尊阿弥陀如来、今川義元伝来の明朝の皿を寄進し、「本楽院大澤寺」と改称しました。大澤寺の本堂は、田沼…2025/04/07 21:00 http://shizuka0329.blog98.fc2.com/blog-entry-5180.html
-
井の頭恩賜公園~花見散歩昭和記念公園を花見散歩の後、吉祥寺駅近くの井の頭恩賜公園を花見散歩してきました。 井の頭恩賜公園は、都内の桜の名所となっていて、公園内の井の頭池周辺には、約200本の桜が満開となって、この日は多くの花見客で大変な賑わいとなっていました。 井の頭池の七井橋近くでは、大木の桜が大幹を倒して池面に枝を延…
-
井の頭恩賜公園~花見散歩昭和記念公園を花見散歩の後、吉祥寺駅近くの井の頭恩賜公園を花見散歩してきました。 井の頭恩賜公園は、都内の桜の名所となっていて、公園内の井の頭池周辺には、約200本の桜が満開となって、この日は多くの花見客で大変な賑わいとなっていました。 井の頭池の七井橋近くでは、大木の桜が大幹を倒して池面に枝を延…
-
4月7日の戦国クイズ最上義光の妹である義姫が毒殺しようとした、実の息子といったら誰のこと?1. 直江兼続2. 伊達政宗3. 蒲生氏郷4. 徳川家康回答: 2. 伊達政宗正解は「伊達政宗」。最上義光の妹・義姫は隣国を治める伊達輝宗に嫁ぎ、政宗を産みます。しかし義姫は長男である政宗よりも次男・小次郎に愛情を注ぎ、政宗を毒…2025/04/07 06:17 https://fanblogs.jp/kunitoriquiz/archive/3933/0
-
国盗りクイズ 4月7日の答え問題: 最上義光の妹である義姫が毒殺しようとした、実の息子といったら誰のこと? 1. 直江兼続 2. 伊達政宗 3. 蒲生氏郷 4. 徳川家康 正解: 2. 伊達政宗 「PR」 人気ブログランキングへ 解説: 最上義光の妹・義姫は隣国を治める伊達輝宗に嫁ぎ、政宗を産みます。しかし義姫は長男である政宗…2025/04/07 00:26 http://blog.livedoor.jp/kntr_quiz/archives/62259250.html
-
戦国時代を舞台にしたバカゲー『Yasuke Simulator』の魅力と歴史的考証の真実概要 1581年、高天神城を巡り、徳川家康と武田勝頼が激突した。織田信長の策略により武田の援軍は遮断され、兵糧が尽きた岡部元信が討ち取られ、徳川連合軍が勝利を収めた。これにより武田家の威信はさらに低下し、戦国の混乱は深まる。 このゲームでは、1579年に織田信長が弥助を侍に任命し、高天神城を攻略する…2025/04/06 21:23 https://gaming-matome.com/?p=5164
-
雪を頂いた山々を従える松本城の黒漆の壁面が美しいです。皆さんに見てもらいたい景色です。松本を訪れたなら、松本城と馬刺しは外せません。特にお城の借景となる山々が雪の帽子を頂くているシーズンはとても美しいです。お城の外壁面に黒漆が塗られているので白い山々とのコントラストが際立ちます。白いお城を表す白鷺城こと姫路城とは全く違う美しさです。 松本城のおもてなし隊 信州の名物肉と言えば「桜肉…2025/04/06 21:00 https://www.kewpief.com/entry/nagano03
-
咲き始めた桜息子の新学期が始まり、部活が再開。今日は、上田市郊外にあるテニスコートで試合だったので、会場まで送り届けた後、桜を見に上田城へ行ってみました。上田城は1583年に真田昌幸が築城。その2年後には、徳川家康が派遣した約7000の兵が攻めてきましたが、わずか1200の兵力でこれを撃退。また1600年には…
-
逆井城(さかさいじょう、飯沼城、茨城県坂東市) – 後北条氏の関東北端の拠点逆井城(さかさいじょう)は、茨城県坂東市にある城跡で、小山氏の11代当主である小山義政の五男常宗が、逆井の地を知行として逆井常宗を名乗り1450年頃に築城しとことから始まります。 常宗の孫である常繁は、古河公方に臣従し後北条氏と敵対関係にありました。天文5年(1536年)に北条氏の重臣大道寺駿河守…